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2022年7月 1日 (金)

「朝倉摂展」に驚く

葉山で朝倉摂の展覧会が開かれていると聞いて行きたいと思ったが、大学の近くの練馬区立美術館に巡回するとわかったので待っていた。若い頃、朝倉摂という名前を覚えたのは、たぶん蜷川幸雄演出の『近松心中物語』の美術を見た時だと思う。

ニナガワと言えば、幕が開いたとたんに圧倒されるような濃密な空間が売り物で、それを担っているのが朝倉摂という舞台美術の女性だと知った。それから唐十郎の『下谷万年町物語』や市川猿之助の『義経千本桜』などを見た。考えてみたら、私は80年代から90年代前半までは映画を除くと演劇の方が美術展よりも見ていた。

その後彼女の名前はすっかり忘れていたが、忽然と「生誕100年 朝倉摂展」が始まった。葉山の美術館のHPを見ると、何と日本画も展示しているという。今回練馬区美でまずびっくりしたのは、彼女は彫刻家の朝倉文夫の娘であり、50歳近くまでは日本画家だったことだ。これまでその活動が知られていなかったのは、本人が生前見せたがらなかったからという。

父親の方針で一切学校に行かせず、自宅でさまざまな先生から講義を受けた。10代後半から日本画家の伊藤深水に弟子入り。20歳頃は1940年代前半でまさに戦時中だが、彼女の絵は若い女性たちを色鮮やかにモダンに見せる。そして戦後はキュビスムに影響を受けた抽象化した人物像を経て、ベン・シャーンのような社会性の強い絵画へ向かう。

《日本1958》や《日本1958-2》(1958)の日本の闇をあぶりだそうとする迫力には心を打たれた。社会への正面からのプロテストとしての絵画はどこへ行くのかと思っていたら、1965年くらいで終わってしまう。たぶんここまでで全体の2/3の物量だ。

1970年にロック・フェラー財団の招きでニューヨークに滞在して帰国後、日本画から手を引く。実は1950年代後半から少しづつ舞台美術の仕事はしていたが、70年代前半から舞台に専念する。蜷川幸雄や唐十郎のように一回り年下の気鋭の演劇人と組み、彼らの華やかな舞台を支える。

舞台は展覧会では当然ながら写真や模型しか見せられないので、あまりおもしろくない。私は自分が30年ほど前に見た芝居を思い出しながら、回顧に耽った。最後には本の挿絵、特に絵本の活動が紹介されていて、これも知らなかった。知らなかったと言えば、松本俊夫さんの第一回長編『薔薇の葬列』の美術が彼女だったことも知らなかった。

この発見の多い展覧会は8月14日まで。

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コメント

朝倉摂さんといえば、当然展示はあったと思いますが、
石井桃子さく、朝倉摂え、の「三月ひなのつき」ですね。
1963年の初刊以来いまでも読まれているようです。

投稿: yazaki | 2022年7月 1日 (金) 10時58分

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