都写美のコレクションを楽しむ:続き
都写美では通常2つの展覧会が開かれている。3階が企画展で2階が常設展だ。常設展といってもコレクションによるテーマ展で、今は先日書いた「メメント・モリと写真」展。これには特別に国立西洋美術館からハンス・ホルバインの版画が出品されていた。さて企画展は「アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」。
これはまず20年だから30年代の欧米のマン・レイなどの前衛写真が並び、次に日本各地の戦前の前衛写真が展示されている。驚いたのは2つ。1つは「メメント・モリと写真」展にもこちらの展覧会にも出品されている写真家がいたこと。それはウジェーヌ・アジェで、多くは無人のパリ市内を撮ったもの。
1900年から1920年くらいまでの写真で、無人の紳士服店や広場からはなぜか幽霊が出そうな感じがある。あるいはこちらに出ている《日食の間》(1912)は望遠鏡やレンズを持った10人ほどが集まって日食を見ている。このシュールな光景が前衛であり、また死をも思わせるということか。昔ここでアジェ展を見たが、もう1度見たい。
もう1つは日本の写真が大阪、名古屋、福岡、東京の順に並んでいたこと。第二章「大阪」には「日本の前衛写真は関西から広がっていったといっても過言ではないでしょう。その中心にあったのはアマチュアの写真家が集い、活動をしていたグループでした」
私には関西の特に戦前の文化というものが全くわからない。宝塚歌劇団ができたように阪神間を中心にして分厚い文化的な層があったのではないか。アマチュア写真はあくまで余裕がある人が始めるもの。資産家の息子などが集っていたのではないかと想像した。「浪華写真倶楽部」「丹平写真倶楽部」「アヴァンギャルド造影集団」と3つもある。
私は中山岩太という福岡出身の写真家が好きで、ニューヨークやパリで学んだ後に芦屋で活動していた彼の写真もこのセクションに数点あった。彼は1927年に「芦屋カメラクラブ」を設立しているが、その後は写真雑誌『光画』も創刊している。私は彼の《上海から来た女》がお気に入りだが、今回はなかった。
そのほか名古屋や福岡でも1930年代半ばから40年代前半にかけて前衛写真が盛り上がっていたのがよくわかった。軍部が満州事変や日華事変を起こしても、地方の富裕層は平気で前衛写真を撮っていたのだ。名古屋市美術館や福岡市美術館所蔵の写真は初めて見るものが多く、興味深かった。「メメント・モリと写真」展に比べると観客は少ないが、こちらの方が貴重。8月21日まで。
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