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2022年7月 4日 (月)

石田民三を見る:その(1)『花ちりぬ』

国立映画アーカイブで開催中の東宝特集で、石田民三監督の小特集が始まった。彼は戦前の東宝京都(J.O.スタジオ)の監督だが、(たぶん全く)DVDなどになっていないので滅多に見る機会がない。私は35年ほど前にパリの日本映画特集で『花ちりぬ』(1938)を見ただけなので、今回楽しみにしていた。

その時はフランス人が、『花ちりぬ』は女性しか出てこない珍しい映画と騒いでいた。幕末の京都・祇園の置屋が舞台で、池田屋事件の直後、そこに住む10人ほどの芸者たちを描く群像劇だ。そこで飲む男性客の声は聞こえても、見えるのは女たちだけ。客と一緒に酒を飲み、大騒ぎをする。

中心となるのはこの置屋の娘のあきら(花井蘭子)で、代々祇園の芸者の家系に育つが外に出ることを夢見ている。彼女は長州藩の武士と仲良かったので、料亭から声がかかっても躊躇する。置屋の外では侍たちが大声を挙げて騒いでいるので、あきらの母のとみ子(三條利喜江)は入口を閉じてしまう。あきらは馴染みの武士が来やしないかと心配になる。

江戸から流れてきた芸者の種八(水上玲子)は気が強く浮いた存在で、芸者仲間と掴み合いの喧嘩をするかと思うと、置屋から出てゆく。翌日、置屋の主のとみ子は新撰組に呼び出されて出かける。京都の中は長州藩の武士で溢れているが、とみ子が呼ばれたのは自分の馴染みの武士のせいかもしれないとあきらは気が気でない。

あちこちで爆発の音がして、鐘がなる。芸者たちは祇園は危ないと、それぞれ行く場所を見つけて出てゆく。とみ子は帰ってこないが、代わりに泥酔した種八が戻ってくる。彼女は追いかけてくる男を何とか振り切ったようだ。爆発の音は頻繁になり、街中の鐘がなる。とみ子が帰って来てあきらは二階の物干し場に出て空を見る。

かなり差し迫った世の中の危機の予兆と恋愛への不安だけで、何も起きない。あきらは馴染み客が外で追いかけられていないかと不安で涙を流すだけ。写るのは置屋の中だけで、京都の街の混乱は通りの声や音で感じる。置屋の中をカメラがロングショットで捉え、するすると移動する。たまにあきらや種八のアップが出てくる。

1938年の映画だから、日華事変の年。世の中は戦争で盛り上がっているが、芸者たちは恋人や家族の心配している。この映画は1864年を描きながら、1938年当時の世相を見せたのだろうか。何度でも見たくなる不思議な映画だ。

タッチとしては山中貞雄の抒情に一番近いが、女性の表情や仕草の細やかな表現は戦後の成瀬も思わせる。石田民三は小津より1歳上の1901年生まれだが、戦後は映画界から足を洗ったという。1972年まで生きているから何とももったいない。

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