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2022年7月21日 (木)

ネオレアリズモ再考:その(9)

「コロナ感染記」は書く私も思い出すと気が滅入るので、今日は映画の話を書く。といっても試写にも映画館にも行けないから、古い映画の話となる。ちなみに19日(火)から平熱で、病気のような症状は全く何もないが家にいる(いないといけない)。

さて最近驚いたのは、ヴィットリオ・デ・セータの『オルゴソロの盗賊』(1961)である。名前はヴィットリオ・デ・シーカに似ているが、何の関係もない。最近何度か触れた岡田温司『ネオレアリズモ』でも大きな扱いだ。この映画は2001年に私が企画した「イタリア映画大回顧」で上映したが、それ以来見ていない。

イタリアほかでDVDを探したが見当たらない。ある時、今フランスでデジタル修復版が劇場公開されていることを知った。調べたらたまたま配給会社は最近あるDVDを手伝った相手だったので、関係者向けのリンクを送ってもらった。

これがまぎれもない傑作だった。俳優を使わず、イタリアの辺境というか、人里離れたところに暮らす人々を淡々としかし克明に描くという点では、ルキノ・ヴィスコンティ『揺れる大地』(1948)とエルマンノ・オルミ『木靴の樹』(1978年)の間に位置する作品ではないか。

『揺れる大地』はシチリアの漁村で、『木靴の樹』は北イタリアの農村だが19世紀末。『オルゴソロの盗賊』はサルデーニャ島の山中の羊飼いの話である。ミケーレは幼い弟と羊を放牧して暮らしている。羊の代金は半分はまだ借金のまま。そこにやってきた盗賊らしき2人は別れた後に警察と揉めて銃撃戦を始め、1人の警官が倒れる。警察は盗賊を探し始めるが、ミケーレは共犯と疑われる。

疑われたのは、警官がミケーレの家で豚肉の残りを見つけたから。これはミケーレが盗賊を助けたお礼に豚肉をもらったものだが、その近くで盗んだ大量の豚を閉じ込めた場所が見つかり、ミケーレは共犯者となった。ミケーレはそこで警察に経緯を説明をするよりも、山の中に逃げる方を選ぶ。

警察は逃げたミケーレを怪しいと睨んで大掛かりな捜索を始める。ミケーレが山の中を弟と羊と何日も歩くうちに羊たちは病気になってしまう。そのうえ、裁判所で彼が有罪になったことを知る。彼は羊を捨てて弟を親戚に預け、借金を払うべく本物の盗賊となる。

この映画ですごいのは、ミケーレが最後まで警察に捕まらず、知り尽くした山の中を縦横無尽に歩くこと。人間よりも山と羊に近い感じで、最初に警察に盗賊のことを聞かれても「知らない」と言う。見知らぬ盗賊に優しく接しても、警察に協力するのはもってのほかという感じなのだ。その何とも気高い生き方への強い意志が、画面からヒシヒシと伝わってくる。

この映画で唯一惜しいのは、撮影後に標準に近いイタリア語に吹き替えられている点。今なら字幕を入れるだろう。いずれにせよ、ぜひ誰か日本でも公開して欲しいが、イタリアのサルデーニャ島の羊飼いが山中を逃げ回る白黒映画では難しいか。

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