猛暑に車について考える
夏になって、自宅にいる時はTシャツ、半ズボンが定着した。近所に出る時はそのままサンダルを履いてスタスタと歩く。大学や映画など電車に乗る時もサンダルのままだが、長ズボンにしてシャツをはおる。シャツは冷房対策のため。
近所を歩いている時に妙に腹が立つのが、小さな通りにまでやってくる車である。先方はある場所に行くのにその道を通る必要があるからだろうが、歩いている側からするととんでもない。まず近くを車が通るだけで暑い熱がぼわんと伝わる。
中では冷房をつけて快適なのだろうが、その分の熱を周囲にまき散らす。そのうえ、時には車のために道の端によけて立ち止まらざるを得ないことも多い。炎天下なのに。見ていると、ほかの歩く人は本当に車のためを考えて行動しているように見える。遠くに車を見つけると道の端に立って通り過ぎるまで待っている。
「車社会」という言葉があるが、こういう人々が日本の高度成長期の車社会を育てたのだと思う。日本の産業の中心の1つが自動車で、トヨタ自動車の売り上げは年に30兆円を超す。つまり、世界中を車社会にすることで回っている会社だろう。どうでもいいが、日本の映画の興行収入(チケット総売り上げ)は年間2000億円前後しかない。
前に書いたように私は運転免許は持っているが、車は持っておらず運転もしない。地下鉄と電車とバスに乗り、酔うとタクシーに乗る。地方はともかく、都心に住んでいる勤め人に車は全く必要ない気がするが、それでもみんな車を買う。私の住むマンションの駐車場は以前ほど空き待ち状態ではないが、それでも車が並んでいる。
いったい何に使うのだろうか。たぶん車を運転すると気持ちがいいのかもしれない。高級車を持っていると自尊心がくすぐられることもあるのだろう。小さい子供がいる時は便利という話はよく聞く。それにしても10年くらいだろう。
私は都会で個人の自動車を制限したら(例えば車やガソリンに2倍の税金をかける)、環境問題などは一挙に解決して東京に青い空が戻るのではと無責任に考える。SDGSなどとカッコつけなくても、とにかく車を減らせば温暖化は防げるのではないか。
こんな考えは単純すぎるかもしれないが、抵抗の意味も込めて私は小さな道では車が来てもあえて知らないふりをして真ん中を歩く。車の脇に少しでもすき間があると、そこに入ってずんずん歩く。車には迷惑なヘンなおじさんを演じているつもりだが、いつか事故にあうかもしれない。
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