ジェロ―さんの講義に考える
先日、イェール大学教授のアーロン・ジェロ―さんに私の大学で特別講義をしてもらった。「海外における日本映画研究の歴史と現在」というずいぶん大きなテーマだったが、外国に日本映画の研究者がいて長い伝統があることを学生に知ってもらいたいと思った。
ドナルド・リチーに始まって、ポール・シュレイダーからノエル・バーチ、デヴィッド・ボードウェルに到る大きな流れと最近のアメリカの日本映画研究者の動向というのは、たぶん大学生は考えたこともなく、いささか難しかったかもしれない。
しかし私にとっては実におもしろかった。まず1980年代までは日本映画研究がアメリカの映画研究をリードしていたという指摘に驚いた。確かに反ハリウッド的な映画を考えた時、日本映画ほどさまざまな実例を提供する映画はなかなかないかもしれない。
それから現在の映画研究はジェンダー研究やポストコロニアリズム研究を引っ張っているという指摘もあった。確かに映画ほど具体的にジェンダーの問題を時代ごと、監督ごとに明確に見せる素材はなかなかないだろう。特に家父長制の強い日本のような国の映画は面白い実例となるだろう。
これは学生の質問に対してだが、日本は映画研究と映画評論や映画祭の運営が離れていないという指摘もあった。アメリカでは映画の教員は映画祭にかかわらず、映画批評はしないという。フランスは日本に近いという。そして「古賀先生も元映画祭のプログラマーです」と言われた。私に至っては「映画祭を企画する」ゼミまでやっている。
これにはたぶん理由があって、アメリカのすべての大学には映画研究の講座があって、専任の教員がいる。つまり映画の教員はそれで食えるから、評論などを書かないですむのでは。とにかくアメリカの映画の教員の数は多く、それぞれが専門的な教育を受けている。日本では映画の教員はもともと仏文学者や英文学者や社会学者が多く、私のように「映画と深く関わってきた」元会社員までいる。
それから日本では理論的な研究が少ないことも話題になった。アメリカでは日本語が必ずしもできなくても、日本人が提供する実証的研究をもとに理論構築が進んでいるという。ジェロ―さんの主張によれば、日本は戦前から映画理論が大きな高みに達しており、まずそれを認識することから始めた方がいいという。彼はそのために日本で『日本戦前映画論集』を編纂している。
たぶん私に映画の理論的研究は向いていない。映画祭をやりなながら、映画史の実証的研究をするのが精一杯だろう。しかし若い世代からは、理論的研究がもっと出て欲しい。そんなことを考えた。
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