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2022年8月14日 (日)

「李禹煥」展をどう見るか

李禹煥(リ・ウファン)という美術作家は、私にとって長い間、「謎」だった。「もの派」と呼ばれる60年代末から70年代にかけて出てきた一派の代表的存在として知られているが、空間に石や鉄をごろんと置いたり、キャンバスに筆の跡を10本ほど残すような作品にいつも首をかしげてきた。

国立新美術館で始まった「李禹煥」展は、「東京では初めてとなる大規模な個展」とチラシに書かれている。ようやく長年の「謎」が解けるかと行ってみた。結論から言うと、「やっぱりわからない」、あるいは「禅のようなもので、ありがたがるとよく見える」

冒頭にカンバスにピンクの蛍光塗料を塗った作品が三面に並んでいる。1968年の作品で微妙に濃度が違うがこれを「視覚を錯乱させる」(展覧会HP)とするのは「考えすぎ」だろう。

そして何部屋にもわたって、部屋の中に石と鉄がごろんと置かれたインスタレーションが続く。「置くだけ」だから60年代末も現在もほとんど変わりがない。題名は「関係項」とか「現象と知覚」とか。

最近になるとそれでも「見せよう」という意識が出てきたようで、2017年にフランスの修道院で発表した作品は、床に大きな大理石を無数に敷き詰めて、観客はその上を音を立てながら、場合によっては石を壊しながら歩くことができる。こういう「体験型」がもっとあればいいが、大半は石と鉄がごろりんのまま。

後半は白いカンバスに線を引いたような絵が並ぶ。スイ、スイと描いたら、素人目には1点あたり一時間ほどでできあがりそうだ。驚くのは多くの作品が日本を代表する美術館に所蔵されていること。東京国立近代美術館、国立国際美術館、神奈川県立近代美術館、原美術館、福武財団など。

さすがに最近の作品の方がカラーが増していくぶんか物語性がある。それにしてもそこに「技術」や「演出」や「効果」はない。あるのは感じる人、考える人には浮かび上がる「精神性」である。最近の現代美術はオラファー・エリアソンでもゲルハルト・リヒターでもダミアン・ハーストでも観客を作品に入り込ませるための演出を周到に準備している。李禹煥はそれをしない。

1990年頃、仕事で作品を借りるために鎌倉にある李禹煥さんのご自宅兼アトリエに行ったことがある。大きな日本家屋で、彼はバッハのCDをかけてフランスの白ワインを飲みながら、スイ、スイと筆を進めていた。素直に「いいなあ」と思った記憶がある。今回の展覧会も同じように「いいなあ」と思った。

 

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