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2022年8月13日 (土)

『プアン』がピンと来ない

タイ映画『プアン/友だちと呼ばせて』を劇場に見に行った。コロナ感染とそのほかの理由で映画館に行くのはほぼ一カ月ぶりだが、『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』のバズ・プーンピリア監督の新作と聞いて見たくなった。

これが私にはあまりピンと来なかった。ウォン・カーウァイ製作というが、まさに私がこの香港の監督の嫌なところが前面に出ていると思った。つまり30過ぎの男が勝手放題に過ごした若い頃を回顧し、女たちを思い出して涙する自分勝手な話である。それも小金持ちになったアジアの男が海外にまで出かけて自国の女に迷惑をかけるパターンだから始末が悪い。

そんな話は、かつて80年代から90年代の香港映画や韓国映画によく見かけた。あのユーモアたっぷりの『バッド・ジーニアス』の監督にもその病気が移ったかと思った。冒頭、ニューヨークのバーで華麗にシェイカーを振って白人女を手玉に取る「ボス」にタイから電話があった。親友のウードからで、もうすぐ白血病で死ぬから、昔の恋人を訪ねるために車を運転して欲しいという。

ボスはすぐにタイに戻るが、なぜ戻るのか見ていてピンと来ない。運転手くらいいくらでもいるだろうに。ウードの父親はラジオのDJで、彼が残したBMWにはその番組を録音したテープが積まれている。そこから流れるエルトン・ジョンやストーンズを聞きながら、ウードがニューヨークで好きになった過去の女を訪ねるというのだから、作り過ぎである。

彼女たちはダンサー、俳優、写真家志望だった。今はそれなりに生きている。そこに、かつてウードがニューヨークで彼女たちと過ごした日々がノスタルジックに挟み込まれる。その自己陶酔的な映像と音楽にウンザリしてくる。

唯一よかったのは、最後にボスの愛した女のエピソードがあったこと。実はそこにはウードが関わっていてというあたりはちょっとおもしろかった。しかしその女の夢がバーのカクテルで全米一になることというのも、何だかなあ。そもそも洒落たニューヨークのバーでカクテルを作るのがそんなにカッコいいのか。

途中からはこういう映画だと悟ったのでよかったけど、それでも2時間9分は長かった。猛暑の中、家を出て戻るまで3時間かけた価値はなかった。頼むから、ウォン・カーウェイさんはアジアの才能ある若手に悪い影響を与えないで欲しい。

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