イタリア映画の1980年代:その(1)
イタリア映画史にはいくつかの盛り上がりがある。まずは1910年代の史劇や「ディーヴァ」もの。古代ローマ時代を描く『カビリア』(1914)はD・W・グリフィスほか大きな影響を与え、美女を中心とした「ディーヴァ」映画は世界を魅了した。
1910年代後半から20年代にかけてはあまり冴えない。1930年代になるとムッソリーニが映画に力を入れ出して、ベネチア国際映画祭やチネチッタ撮影所や国立映画学校(チェントロ)ができ、マリオ・カメリーニやアレッサンドロ・ブラゼッティなどの監督が活躍する。カメリーニの初期作品はヌーヴェルヴァーグのように初々しいが、このあたりは海外では知られていない。
戦後はなんといってもネオレアリズモ。ロッセリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティが活躍し、アントニオーニとフェリーニが続く。1960年のカンヌ国際映画祭ではフェリーニの『甘い生活』がパルムドール、アントニオーニの『情事』が審査員賞、その年のベネチア国際映画祭ではヴィスコンティの『若者のすべて』が銀獅子賞。
60年代にはヴィスコンティの弟子のフランチェスコ・ロージ、詩人のピエロ・パオロ・パゾリーニがデビューして続々と作品を作り、次の世代のベルトルッチ、ベロッキオなども続く。ベルトルッチは『暗殺の森』(70)など70年代に頂点を見せ、1977年にタヴィアーニ兄弟が『父 パードレ・パドローネ』、78年にエルマンノ・オルミが共にカンヌでパルムドールを得た時、イタリア映画の世界的優位は明らかだった。
ところが80年代になるとぱっとしない。世界的には1989年にカンヌで審査員特別賞とアカデミー賞の外国語映画賞に輝いたジュゼッペ・トルナトーレの『ニュー・シネマ・パラダイス』と1998年にカンヌで同じ賞を取ってアカデミー賞3部門を制覇したロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』までは、ある意味暗黒の時代である。
そのうえ、この2本は「商業的成功」であって、60年代のヴィスコンティやフェリーニ、70年代のベルトルッチやオルミとは比べるべくもない。70年代末までにロッセリーニもヴィスコンティもデ・シーカもパゾリーニも亡くなって、フェリーニとアントニオーニは独自の別世界を放浪していた。
それでは80年代から90年代のイタリア映画となると、一番に出てくるのがナンニ・モレッティであるが、この評価が難しい。監督本人が主演で、自分中心の屁理屈ばかり言う映画を70年代末から90年代まで作り続けているからだ。初期作品でどうにか見やすいのは『僕のビアンカ』(83)と『ジュリオの当惑』(85)だが、これは共同脚本家でサンドロ・ペトラリアが参加しているからだろう。
この時期のモレッティはなぜかフランスの『カイエ・デュ・シネマ』誌では高く評価されている。イタリアではその反発もあって、知り合いのアドリアーノ・アプラのように全く評価しない評論家もいる。今日はここまで。
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