ノートの発見:その(1)
最近、部屋の中を整理していたら、何十冊というノート(帳面)があることに気がついた。会社員時代に残した仕事用のノートがほとんどだが、最近は映画のメモ代わりが多い。だいたい試写中のメモか映画を見た直後の走り書きで、それを見ながらこのブログを書く。
大学でも学生と一緒に映画を見る時は、このノートを使って「言うべきこと」をメモする。新聞社の文化事業部時代のノートは「フランス展覧会」「その他展覧会」「映画企画」の3つに分かれていて、それぞれに会議中にメモしたり、発言する内容をまとめたりしている。
短い文化部記者時代はいわゆる「取材ノート」。質問する内容を事前に書いておき、相手の答えをメモする。「機嫌が悪い」などと相手の反応も書いてあるので、録音テープよりもこちらの方が役に立つ。
映画のメモのノートはあとから見てもおもしろくないので古いものから捨てているが、事業部や記者のメモは今見るとなかなか興味深いので今回は捨てないことにした。そんなノート類のなかから、一番古いものが出てきたと思ったら「CAHIER 1996.1-」と書かれている。
CAHIER=カイエとはフランス語で手帳の意味だが、中を開けてみたら「日記」だったので驚いた。今のブログのように毎日書いているわけではない。数日に1度、場合によっては何カ月も空く。海外出張の時が多いのは、ヒマな時間があるからか。2009年2月で終わっているのは、たぶん4月から大学に移ってこのブログを書き始めたから。
例えば2008年12月31日には転職する前の気分が書かれている。「部屋をかたづけた。ほこりをはらう、22年分の。/来年は本当に自分にもどる年。これからは会社のことを考えず、自分の今後を考える。/ようやく正面から映画にとりくむ。長い間、遠回りをし過ぎたが」。なかなかいいではないか。
これはわれながらおもしろすぎる。読み始めたら、5、6頁読んだだけであっという間に1時間が過ぎた。読みながらいろいろなことを思い出して、ノスタルジアのアドレナリンが出まくり状態になった。なんと、フランス語で書いた部分もあった。もちろんプライベートなヤバイ内容だが、殴り書きが多く時々自分でもその意味がわからない。
まずノートの出だしはこうだ。「1996年1月8日 早く起きてルノワールを読むこと。食べ過ぎないこと。お金を節約すること。今年は自制の年としたい。もちろん同時に落ち着きも必要だ。要はシンプルに正しくということ」。意味は半分わからないが、自分へ言い聞かせることを書いた感じ。
「ルノワールを読む」とはたぶん仏語で出たばかりの書簡集のことで、その年の11月の「ジャン・ルノワール、映画のすべて。」(@フィルムセンター)の準備のためだろう。今日はここまで。今後も時々このノートに触れたい。
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