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2022年8月21日 (日)

『画家たちの「戦争」』をめぐって:その(1)

またまた近所の書店「かもめブックス」で、この夏の特集棚「戦争と日本」で買ったのは『画家たちの「戦争」』。これは『芸術新潮』の1995年8月の戦争画特集を再編集して2010年に出したものだが、手に取って引き込まれた。

私は竹橋の東京国立近代美術館に1階の企画展を見に行くと、だいたい4階から2階までの常設展も見ることにしている。時間がない時は、なぜか3階の奥のあたりにある戦争画の数点だけはいつも見る。戦争画の濃密な画面は、異様な雰囲気を放っているから。

いったい、画家たちは強制されて描いたのか、あるいは希望する画家だけが描いたのか。例えば東近美で最近個展をやった鏑木清方は戦時中も明治の美人ばかりを描き、一点も戦争画はなかった。アーティゾン美術館で見た坂本繁二郎も戦時中は梨や柿を描いていた。それですんだのか。

この本には東近美の所蔵する戦争画の図版がたくさん載っている。いつも会期ごとに数点ずつしか見られずに全体像がわからない私にとってはそれだけでもありがたい。本当ならば「戦争画展」を見たいのだがそれはたぶん無理なので、この本は紙上展覧会のようなもの。

本の最初に出てくるのはやはり藤田嗣治で、《アッツ島玉砕》(1943)や《サイパン島同胞臣節を全うす》(1945)などは本の小さな複製でも凄まじい。そこには「従軍の3画家」として藤田、小磯良平、宮本三郎の3人が南洋の船に乗っている姿の写真も添えられている。

それにしてもこの2点は日本人の死屍累々を描いているが、これはどうして許されたのか。河田明久氏の解説によれば、「フジタは作品を「大義」の文脈にのせる手続きには細心の注意を払っている。マスメディアと軍のお墨付きは、そのための欠かせないツールだった」

「報道の通り29日に制作を終えた藤田は、記者会見の翌日には陸軍省への献納の手続きを済ませ、作品が前述の決戦美術展に出品されるよう手はずを整える。かくして31日の主要各紙は「鬼気迫る名画」の完成を数段抜きで報じ、藤田が自発的に描いたはずの《アッツ島玉砕》は9月1日から始まる決戦美術展に、陸軍の作戦記録画として並んだ」

「作戦記録画」とは1941年に陸海軍の情報部が始めた公式戦争画らしい。当時は既に絵具や麻布などの画材が不足していたので、作戦記録画には飛びついた画家もいたのではないか。藤田のような大物だと、勝手に自分で描きたいものを描いて報道陣に見せ、陸軍に収めた。

日中戦争が始まった頃は「戦争を描くことへの気おくれ」があったが、1942年に32人の従軍画家を南方に送り出したあたりから、何でもありになってくる。いやはや知らないことだらけだが、今日はここまで。近日中にまた東近美の3階に行ってみよう。

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