金子光晴『絶望の精神史』に考える
自宅近くの名書店、「かもめブックスに」並んでいる本はどれもおもしろく見える。そこにある多くの本に「いい感じ」が溢れているので、それが相互作用でさらによく見えるのかもしれない。金子光晴の文庫『絶望の精神史』を買ったのも、その雰囲気の中だった。
薄い文庫なのに税別で1400円。講談社文芸文庫はとんでもないと思ったが、書店の作った「戦争と日本」と書かれたシンプルなオビを見ているうちに買いたくなった。文庫の裏表紙に「近代史の歪みを痛烈に批判する自伝的歴史エッセイ」と書かれていたのも惹かれた。
金子光晴は詩人だが、実は私は詩集は読んだことがなく、唯一読んだのはエッセー『眠れパリ』。これは、1930年代のパリで金がないためにあらゆる仕事をしながら何とか生き延びる話で抜群におもしろかった。今回『絶望の精神史』を読んでわかったのは、彼が戦前から何度か海外に行ったことで日本を相対化する見方が身についていること。
金子は1895年生まれだから、明治の終りを10代後半で見ている。だから明治の日本人はこうで、大正になるとこう変わり、戦時中にはこうなったと語る。彼はその間、多くの「絶望者」を見てきた。
「もっとも身近い僕の実父は、百万円の産を作る誓いを立てて、七十年間悪戦苦闘し、ついに果たすことができなくて、四国に渡り、貧しい漁村の裏山にある空寺の番人をして、絶望の一生を終わった。また、僕の伯父にあたる男は、鹿児島の海上で枝珊瑚の栽培を計画し、失敗して自殺した。妻の不倫を憤って、コレラ菌を飲んで死んだ知人の医師もあったし、才能の不足を嘆いて、自分の指を断ち切って仕事への野心を断念した友人の彫刻家もいた」
この本の前半にはそういう人の話がたくさん出てくる。「この問題を究明するために、順序として、僕は、日本の孤立した地理的条件と、湿潤な風土がかもしだす、抑圧された精神の異常な発酵とに目を向けたいとおもった。それらが、近代日本人の歴史的な性格まで作りあげたものであるからでもある」
つまりは島国で湿度の高い環境が、「絶望者」が多い理由ではないか、という考えだ。この「絶望者」という言葉を聞いて、私はすぐに安倍前首相を銃殺した山上容疑者のことを思った。新聞などでは41歳のこの男性のこれまでの悲惨な人生がさかんに語られている。彼については旧統一教会が原因となった貧困が大きいが、もちろん誰も日本の風土について語る者はいない。
明治や大正や昭和初期は今よりも「絶望者」は多かったのだろうか。そもそも今の日本は海外に比べて「絶望者」は多いのだろうか。この本を読みながらそんなことを考えた。
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