なぜか『一汁一菜でよいと至るまで』を読む
土井善晴著の新書『一汁一菜でよいと至るまで』を近所のかもめブックスで買った。確か「朝日」の読書欄で少し触れられていたと思うが、横に文庫本の『一汁一菜でよいという提案』があって、どちらにしようかと迷った。なんとなくこちらを買ったが、間違いだったかもしれない。
読んでいてわかったのは、文庫の方が「一汁一菜でよい」という彼の主張が書かれていて、こちらはその考えに至るまでの彼の生涯を振り返るもののようだ、ということ。それでも最後まで読んだのは、彼が1957年生まれで私より少し上のせいか、何となく人生観が似ていたからだろう。
特に若い頃にスイスやフランスに行って修業をして、西洋料理とは何かを学んでゆく感じが懐かしかった。私は留学した1984年夏、最初は8月にディジョン大学で夏期講座を受けたが、そこにも料理人志望の若者が2人いたのを思い出した。
ああそうだと思ったのは、フランスにおいて「レストラン」というものの大きさ。「多くのフランス人にとってめったにない機会ですから、幸福なひとときを楽しむためにお腹を空けて備えて、男性も女性に合わせてきちんと身嗜みを整えて出かけてくるのです。/彼らは自分が選んだものを安易にシェアしません」
「特に有名シェフがいるレストランでは、その一皿がシェフの作品ですから、一皿のすべてを一人で味わって、初めて作品の価値がわかるのです」。こう書いて、中国人が三つ星レストランですべての皿をテーブルに並べさせ、勝手気ままに手を伸ばすのを批判する。これは私も見たことがあるが、日本人の「シェア」もかなり近い。
「ナイフで切って、フォークを使って食べるという行為は、まさに料理をしながら食べていると言えます」。「和食についてはそもそも料理の全てを調理する人に委ねているのです。むしろ、自然と静かに向き合う場として、加工度の極めて低い料理から、自然の移ろいと作る人の目には見えない心を知り、読み取っていきます」
この本のエッセンスはこのあたりにある。ちなみに私はNHKの「きょうの料理」に出ていた土井善晴のお父さんの土井勝は覚えている。あるいは「おかずのクッキング」という番組もあった。土井善晴は土井勝が全国に作った料理学校をつぶしてしまったようだ。まあ、何でもレシピがネットで手に入る現在は、プロを目指すのでなければ料理学校には行かないかもしれない。
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