『さかなのこ』を楽しむ
沖田修一監督の『さかなのこ』を劇場で見た。さかなクンは一応顔はわかるけどよく知らない。その自伝的エッセーの映画化というが、二重三重に工夫されていて、かなり楽しんだ。最初に「男か女かは、どっちでもいい」という言葉が字幕で出てくる。
それからさかなクンになりきった感じの「のん」がミー坊を演じ、「ギョギョ」という言葉を語尾につけながら、魚への愛を披露する。彼女にカメラを回す撮影スタッフも写る。それから少女時代のミー坊に移る。水族館で閉館時間が来ても帰ろうとしないミー坊に、母親(井川遥)は「魚介の図鑑」をプレゼントする。
とにかく魚が好きで海に行き、食事も魚ばかり食べている。父も兄も呆れるが、母親は全く気にしない。近所に住むギョギョおじさん(さかなクン)は変人として同級生たちに恐れられているが、ミー坊は遊びに行って意気投合する。夜の9時までその家にいて、父親は警察を呼ぶ騒ぎに。
高校生(ここから「のん」になる)になっても魚好きは変わらない。なぜか男子用の学生服を着たミー坊は、教室には絵入りで魚の解説を書く「みー坊新聞」を貼り続けるが、それがもとで不良グループに絡まれる。さらに敵対グループも現れるが、ミー坊は海岸で生きた魚をシメてみんなに配って切り抜ける。
のんは魚のこと以外の勉強をしないので、大学には進めない。「お魚博士」になりたくてもなれないのだ。魚屋や水族館で見習いをやるが、退屈で仕方がない。同級生経由で歯科医院向けの豪華なアクアリウム作りを頼まれるが、これも失敗。結局、ペットショップで働いていたが、かつての不良仲間のツテで、人生は開き始める。
のんがとにかく年齢も性別も関係ない感じで天衣無縫に動く回るのがいい。あまりに素直で周囲を常に驚かせる。さかなクンを女性であるのんが演じるだけでなく、彼女自身が性別を超える。さらに「好きなこと」だけをして、世の中から落ちこぼれてゆく。母と不良少年たちがそれを支えるので何とか続けるが。つまり、いつの間にか、はみ出し者賛歌にもなっている。
私は見ていて、ジャック・タチの映画を思い出した。世の中に合わせられなくて一般には変人扱いだが、実は心の奥底でみんなに愛されている存在だ。それから、事務所との関係で本名を使えなくなった俳優のん自身の人生も考えた。
映画としてはちょっと詰め込み過ぎかもしれない。そう思ったのは劇場に子供連れもいたからで、あちこちに話が飛んで139分は長すぎる。高校生時代からにして、歯科医や同級生の女子などのエピソードをカットして90分くらいでいいかも。
この感じだと、ジャック・タチのようにのん自身が監督して自由にエッセー風に作ったらおもしろいかもしれない。
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