『やまぶき』の人物の確かさ
11月5日公開の『やまぶき』を試写で見た。オンラインでない試写はかなり久しぶりだが、この映画の関係者に勧められて見ることにした。監督の山崎樹一郎の名前は聞いたことはあったが、前2作は見ていない。
いずれも海外の映画祭で評価が高かったようで、今回はカンヌ国際映画祭のACID(インディペンデント映画協会?)部門で上映されて、仏『ルモンド』紙に記事も出ている。
見終わって海外での評価はよくわかると思ったのは、登場人物たちの存在がくっきりと確かなものとして捉えられていたから。韓国人のチャンスは採石場で働きながら、日本人女性とその娘と3人で暮らしている。チャンスを演じるカン・ユンスの顔つきがある種の諦念を抱えており、挫折の後に日本で暮らす韓国人の強さと弱さを感じさせる。
彼と暮らす美南役の和田美沙は実に抑えた演技だが、これまた明らかに何か重いものを抱えて生きている感じだし、娘さえもそれを共有しているようだ。女子高生の山吹(祷キララ)はなぜか一人で言葉を書いた看板を持って街頭でサイレント・スタンディングをする。社会に対して何か抗議したい思いが伝わってくる決意に満ちた横顔だ。
物語はチャンスに事故が起きて仕事を失うことから、山吹の父の警察官(川瀬陽太)と関わってくる。そこからチャンス、美南の過去が浮かび上がり、山吹の父の怪しい行動や彼女の母の行方などがどんどんわかってくる。正直に言うとその部分はいささか詰め込み過ぎに思えたが、説明的な描写は省かれているし、何よりもカン・ユンスと祷キララの沈黙の表情の強さで画面が輝いている。
16㎜で撮影された荒い粒子の画面も人物たちの語らない思いを見事に定着させている。岡山県の片田舎の小さな物語が、見ているうちになぜかふいに普遍性を持ってきて、今の日本にそして世界に語りかけるようにも思えた。
そういえば、日本で暮らす韓国人というのは、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』にも深田晃司監督『LOVE LIFE』にも出てくる。国際的に評価される日本映画には、日本社会を裏側から写し出す存在として一つの強い鍵になるのかもしれない。
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