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2022年10月12日 (水)

都写美の展覧会3つ

恵比寿の東京都写真美術館の地下展示室は通常は外部に貸し出しているが、たまに自主企画もやる。「イメージ・メイキングを分解する」展がそれで、最終日だと知って慌てて出かけた。一応、大学で映画を教えているので、こういう展示は気になる。

一番おもしろかったのは、ハンガリーのタマシュ・ヴァリツキーの「ありえたかもしれないイメージ・メイキング・ツール」。CGで描かれた奇妙な想像上のカメラのデッサンで、そのいくつかは動画として宙に浮いて回っている様子も見ることができる。「抽象絵画のためのカメラ」とか「鏡カメラ」とか「マイクロレンズ・カメラ」とか。

実際にはたぶん作ることができないが、19世紀末にできた映画のカメラではない方向に進化していたらどうなったかと考えると楽しい気分になる。あるいは1989年の「機械たち」シリーズはグラモフォン(円盤式蓄音機)をもとに自由なオブジェにしたCGデッサンで、録音や録画という再生機械と人間の関係を考えさせる。

そのほか気になったのは本木圭子の展示。コンピュータのプログラミングで線を描く数式や図表のほかに、人間の内臓が振動しているような白黒の映像《Insaide》が2つあって、これは実にリアルだった。コンピュータが実は人間の身体と呼応しているかもしれないと考えてしまう。

「日本の新進作家vo.19 見るは触れる」では澤田華の《漂うビデオ》という映像作品がおもしろかった。四角い映像がまるで水槽のようで中にもう一つの映像が漂っている感じで、その枠を手で動かしている。見るという行為の危うさや恣意性を追求した映像だ。

多和田有希のインスタレーションは、作品の一部が燃えて欠落した大きな写真がいくつも宙に浮いており、そこに光が当たって床に不思議な模様を作り出している。物質としての写真が、まるで生き物のように感じられる不思議な展示だった。

「野口里佳 不思議な力」は今回唯一の個展で、日常の中で自然や宇宙を捉えている点で、先日オペラシティアートギャラリーで見た「川内倫子」展を思わせる。しかし野口の世界はもっとクールで、沈黙というか静けさを凝視している感じだ。夜の街を撮った映像や潜水する人を撮った複数の写真、レスキュー隊の動画などには、世界を見つめる強烈な視線がある。

今回の東京都写真美術館の展示には普通の「写真」はほとんどなく、動画を含む映像全体への探求を見せていた。個人的には少なくとも1フロアは、普通の写真展を見たいけれど。

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