気候崩壊と正義
急に寒くなった。5日(水)にはTシャツに軽くシャツをはおっていたのに、6日(木)では長袖シャツにジャケットとなった。それまで家では裸足だったが、6日には靴下を履き、足元にヒーターを使った。6月から真夏だったのが、一挙に冬になった感じだ。
一月ほど前の「朝日」の「論談時評」で林香里東大教授が「気候変動」ではなく、「気候崩壊」だと書いていた。確かに4カ月も夏が続いて突然冬になると、もはや崩壊に近い。林さんによれば、さらに進んで「気候正義」という考えがあるらしい。気候変動は不平等から生まれているというのだ。
「「世界不平等レポート」22年版によると、世界の富裕層上位10%が排出する二酸化炭素は総排出量の47・6%で、約半分を占める。これに対し、所得が下位50%の人口が排出する二酸化炭素は、総排出量の12%にすぎない。つまり、先進国の富裕層や中所得者層が温室効果ガスの大量排出をしながら便利で快適な生活を送っているのに対して、途上国の貧困層や先住民族たちは、災害による被害を受け、困窮し、命さえ奪われる。」
世界規模で考えると話が大きくなるが、真夏に汗をかきながら歩いている時に、横を通る冷房の効いた車が出す熱風を考えると私にもよくわかる。つまり自分だけ快適になって、まわりが犠牲になる。私は貧乏性もあって、冷房も暖房もできるだけ使わないが、それでも冷房をかけると室外機からは熱風が出て、ベランダの植物を枯らす。
「日本で住宅用の太陽光発電のような分散型の電気供給が普及しないのは、化石燃料による独占的な発送電システムを支えてきた企業群の利益が優先されてきたためだ」という意見も引用されている。
私は晴れた日にベランダに洗濯物を干すのが好きだ。天気がいい日は昼過ぎにはすべて乾く。その後の太陽をもったいないといつも思う。これまた貧乏性かもしれないが、どうにかならないものか。アマゾンなどの通販で売っている家庭用ソーラーパネルは、高いうえによくわからない。
日本を含む先進国が全体で二酸化炭素を大量に排出して、世界の気候崩壊を招いているとしたら、もはや今までの快適な生活を考えなおすしかないのではないか。自分が快適になれば誰かがその分不快になるという不公平、あるいは地球全体がおかしくなる環境崩壊。「気候正義」Climate Justiceという言葉を考えている。
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