『千夜、一夜』に思う
予告編を見て海を見る田中裕子の佇まいが気になり、久保田直監督の『千夜、一夜』を劇場で見た。田中裕子が夫を待ち続ける話というだけの予備知識で見たが、実は前半はあまり乗れなかった。田中裕子演じる登美子は、佐渡ヶ島で行方不明になった夫を30年も待っている。
知覚に住む母はだんだん弱ってくる。小さい頃から彼女を好きだった漁師(ダンカン)は求婚するが、受け入れない。夫が突然いなくなって2年という女性(尾野真千子)を紹介されて世話をするが、彼女は自分とは違うようだ。
最初は孤独で言葉も少ない田中裕子を見るだけ。毎日、水産加工所で取れたイカを処理する仕事を繰り返すだけの生活だが、佐渡の港町の雰囲気そのものが彼女と一体化していて、本当にそこでくらしているようだ。それに比べたら、ダンカンはお笑い芸人のままだし、尾野真千子はとても佐渡に住んでいるとは思えないほど都会的だ。
それでもダンカンまでが蒸発して男性が3人もいなくなると、「行方不明」という言葉が現実味を帯びてくる。新潟だから北朝鮮による拉致という可能性もあるが、映画はそこには深くは踏み込まない。突然いなくなるということが、田中裕子と共に佐渡の海を見ているうちにありえることかもしれないと思い始める。
田中裕子は失踪した夫の母親の葬儀のために新潟に行くが、そこで偶然に尾野真千子の夫(安藤政信)を見かけて、ここから終盤のドラマが始まる。そしていなくなったダンカンとその母親(白石加代子、彼女もそのまんま)の方も動き出す。
映画が終わると、ずっしりとしたものが残る。ひとえに田中裕子と彼女と一体化した佐渡の海や街角や住民たちに、何とも重く冷たい力がのしかかってくる感じなのだ。あの場所で少しの間暮らしたような気分にさえなる。田中裕子がダンカンに「タラにでも食われてしまえ」と言った瞬間の強さといったら。
いわゆる行方不明者は日本で年に8万人もいるという。理由は本当にさまざまだろうが、「いなくなりたい」「自分を知っている人のいない場所に行きたい」「今の環境をすべて捨てたい」という気分はわからないでもない。そんなことを考えさせる重厚な脚本(オリジナル)と演出だった。そして何といっても、田中裕子の存在が大きかった。
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