« 階段がきつい | トップページ | ようやく『百花』を見る »

2022年10月 1日 (土)

「朝日」を読みながら

このブログをお読みの方はおわかりの通り、私は「朝日」を定期購読している。16年余り給料をもらった会社だし、当然知り合いの記者もいるのでやめてからも取り続けている。今朝、「おっ」と思ったことが2つあった。

1つは「天声人語」の筆者が変わって、名前が紹介されていたこと。これまでは2人で今回からは3人になったようだが、そのうち2人に会ったことがあった。郷富佐子さんはローマや東京で何度か会ったし、古谷浩一さんは2年前に学生の映画祭の取材をしてもらった。

「天声人語」は交代の時しか筆者名を明らかにしないが、今までは知らない人ばかりだった。私が仲のいい記者はなぜか一人も書いた人はいない。飲み友達の石飛記者などは書く気配もない。だから何となく「殿上人」のような気がしていたが、郷さんならば気楽に頼みごとができそうだ(気分だけは)。

もう1つ驚いたのは土曜の別刷りBeで沢木耕太郎氏の連載が始まったが、その後半の文章。前に朝刊の連載「春に散る」はあまりに楽しみで、海外に行く時にそれを読みためにデジタル会員になった経緯もある。今回は「暦のしずく」という題名で、1回目の後半に江戸時代の死刑のことが書いてあった。

江戸中期、「八代将軍吉宗の命によって編纂された「公事方御定書」によると」「鋸挽(のこぎりびき)、磔(はりつけ)、火罪、獄門、死罪、下手人(げしゅにん)、斬罪、切腹」。何となく切腹と磔だけかと思っていたが、こんなにあったとは。

「このうち、斬罪と切腹は武士だけのものであり、一般には鋸挽から下手人までの六種の方法によって死刑が行われた。

 鋸挽は、まさに鋸で挽き殺すという刑だが、実際に鋸で挽くことはなかったらしい。日本橋の広場に穴を掘って箱を埋め、そこに罪人を入れて首だけ出させ、形式的にその横に鋸を置き、二日間晒(さら)したあとで、刑場で磔にしたという。

 磔の刑は、牢屋敷から刑場まで引き出してから磔にする。

 火罪は、放火犯にだけ行われた特殊な刑罰で、刑場まで引き廻(まわ)してから磔にし、火あぶりにした。

 残りの獄門と死罪と下手人の刑は、刑場に引き出されず、牢屋敷内で首を斬り落とされる。それは共通だが、斬り落とされたあとの、首と胴体の扱いの違いによって刑の軽重が生じるらしい。

 まず、獄門は、斬り落とされた首が品川の鈴ケ森や浅草の小塚原の刑場に運ばれ、二晩三日晒される。

 死罪という刑も、首を斬り落とされるというところにおいては獄門と変わらないが、首を晒されることはない。

 ただし、首を斬り落とされた後の胴体が、牢屋敷の中で試し斬りのために用いられることがある。将軍家や諸大名の持つ刀の斬れ味を試すためだ。

 下手人の刑は、やはり斬首されるが、頭部を晒されることもなく、胴体を試し斬りに使われることもない。」

デジタル版からコピペして長くなったが、どうしてもここまで載せたかった。映画で考えると、ドライヤーやブレッソンのジャンヌ・ダルクの映画では、ジャンヌは「火罪」である。溝口健二の『西鶴一代女』は不貞の男女の市中挽き回しが最初と最後に出てくるが、彼らは斬首か火あぶりか。ヴィスコンティの『夏の嵐』は19世紀半ばで銃殺だが、日本では銃は用いなかったのか。

映画の見過ぎもあるが、死刑にはわからないことが多過ぎる。

|

« 階段がきつい | トップページ | ようやく『百花』を見る »

ニュース」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 階段がきつい | トップページ | ようやく『百花』を見る »