今年も東京国際映画祭の奴隷に:その(2)
東京国際映画祭の最初のプレス・業界向け上映の時に、おもしろいことがあった。会場のシネスイッチ銀座は地下の広い方をコンペの試写に使っているが、審査員はその2階(実際は地下1階)で見る。ところが始まる10分ほど前に、そのあたりから英語で騒ぐ声が聞こえた。「これじゃまるでテレビジョンじゃない!」
2階席からはスクリーンが小さいと言っているようで、しばらくすると審査委員長のジュリー・テイモアさんが下の我々がいる席に降りてきて前から5、6席の中央に陣取った。その後ろにジョアン・ペドロ・ロドリゲスさんがついてきて、さらに1列前に。柳島克己さんとドゥ・ナヴァセルさんもしばらくしてやってきた。
普通の国際映画祭では審査員はプレス上映ではなく、正式上映で見る。それがプレス上映のうえ会場は地下で(欧米人は嫌う)、スクリーンが小さく座席も固く音もよくないシネスイッチでは気分はよくないかも。私個人は従来の六本木のシネコンよりも席数が多いので並ばずにすんで助かっているが。
さてコンペだが、スペインのカルムト・ベルムト監督の『マンティコア』は、正直、意味不明。ゲーム・キャラクターのデザイナーのオタク青年の孤独な話で思わせぶりで中身がない。自宅アパートの隣人の少年を助けたのが縁で、彼の姿をデッサンする。それがゲームにつながってという話のようだが。
それに比べたらイタリアのロベルタ・トッレ(チラシには「トーレ」と書かれているが、カタログの「トッレ」が正しい)の『ファビュラスな人たち』は、映画になっている。トランスジェンダーの中年5人が30年後に集まって、かつての友人アントニアを追悼するという話で、アントニアが死んだ時の両親が着せた男装姿で現れて、みんなで脱がせてドレスを着せるあたりはちょっと泣ける。
最後には6人の小さい頃からの写真数枚を見せて、そのリアルさを訴えるあたりがいささか際どいが。この監督はミラノ出身の才女でシチリアの土俗的世界をミュージカル仕立てにお洒落に見せた『死ぬほどターノ』でデビューした。今回も半分ミュージカルのように歌を巧みに混ぜている。しかしこのレベルの監督はイタリアにたくさんいるのだが。
ヨーロッパ映画のセレクションは前のディレクターと同じく甘いなと思っていたら、ベトナムのブイ・タック・チュエン監督の『輝かしき灰』はハイレベルで一安心。近所に行くにも舟に乗るメコン・デルタの小さな村の3人の女を描く。出だしはタムとニャンの結婚式。ホウの夫はそれを苦々しく見ている。
ホウの夫はニャンを好きだったせいか、妻とは会話をしない。女の子が生まれると彼女とばかり話す。ホウは九官鳥に「ニャン」と覚えさせたり、おかしな抵抗を始める。タムは子供が川でおぼれ死んでから、次第におかしくなる。ロアンは幼い頃に自分をレイプした男が刑務所を出て戻ってきたのを知って復讐を果たそうとするが、だんだんヘンな方向に向かう。
土俗的世界を繊細な映像で巧みに語る秀作だ。説明は少ないが、あちこちにシンボルが隠されているようでぞくぞくしてくる。東京国際映画祭はもうヨーロッパの映画はやめてもいいかもしれない。
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