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2022年10月16日 (日)

『背 吉増剛造X空間現代』を見る

最近、美術館でたくさん「映像作品」をたくさん見たせいか、本格的な映像が見たくなって七里圭監督が詩人の吉増剛造さんのパフォーマンを撮った『背 吉増剛造X空間現代』を劇場で見た。「空間現代」とはロックバンドで、この映画では吉増さんの朗読パフォーマンに合わせて即興で音楽を繰り広げる。

最初は2019年夏、吉増剛造さんが石巻市の宿で金華山という島を見ながら、窓に詩を書く様子が写る。たぶん震災後の復興アートプロジェクトだと思われるが、海の向こうの島を見ながら島に行かずに詩を書く。そして詩を消す様子も出てくる。スタッフや子供が「ごうぞうさん!」と呼ぶ声。

そこから吉増さんは鏡よりもガラスの方がおもしろい、などと言っていると、いつの間にか別のガラスの前にいる。周りは真っ黒で照明が当てられている。吉増さんはガラスの前にいたり、向こう側にいたりするが、ダイダイ色や黄緑色で字のような模様のようなものをガラスに書いてゆく。そこには大きな不協和音のような音楽が流れている。

吉増さんはウォークマンを取り出して、土方巽の声を聞かせる。あるいは金華山の前で書いた詩を読み、叫ぶ。それをまた録音して聞きながら叫ぶ。自分でマスクをしたり目を隠したりしながら、ドローイングを始めては消す。声、音楽、雑音、光が入り混じり、あっけにとられながら時間が過ぎてゆく。

全部で62分、長かったような、短かったような。具体的には全く内容のない時空間で、言葉の一つも覚えていない。しかし人間の肉体が、ガラスの前で悶え、強烈な音と光に囲まれて生きていた記憶だけが残る。その集中度というか、強さに打たれた。

その前に、同じ七里圭さんが監督した早稲田大学の村上春樹ライブラリーの紹介ビデオが上映された。10分ほどのものだが、並んでいる村上春樹の本は遠くからしか写さず、そこを訪れた人がちょっと自分の記憶の奥を見るようなスリリングな感じがあって、なかなか。村上春樹を紹介するのではなく、ライブラリーでその小説世界に入り込む若者を見せたのか。

普通の劇映画と現代美術の「映像」をよく見る私には、そのどちらでもないこういう映像は刺激的だ。

 

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