尾形敏朗著『完本 巨人と少年 黒澤明の女たち』を読む
私は昔からなぜか黒澤明の映画が苦手だった。大学生で最初に『羅生門』を見た時は途中で眠ったし、『生きる』はわざとらしくて何がいいのかさっぱりわからなかった。小津安二郎や溝口健二はおもしろいと思ったのだが。さすがに大学で映画を教え始めてからは、その作劇力や演出力がわかるようになってきた。
だから尾形敏朗著『巨人と少年 黒澤明の女たち』は、存在は知っていたが買わなかった。ところが「完本」という形で新しい原稿も加わって文庫で出た。たまたま数年前に尾形さんと知り合ったので、送ってもらった。
冒頭、黒澤明が結婚する矢口陽子と婚前交渉をしたのかどうかが話題になっており、思わず笑う。結論からするとそうで、『素晴らしき日曜日』について「結婚から七か月後に長男誕生という気恥ずかしさを、創造力のバネに変え、映画の中で自画像たる沼崎勲に<かくありたい自分>、つまり性の誘惑に勝って精進する理想の自分を託して見せたことに親しみを覚えたのだった」
第一章の終りに書く。「黒澤作品に登場した女性たちを通して、彼の<強さ>ではなく<弱さ>を見つめ直してみたいと思う。/いわば、絶対的な<巨人>をめざした汚れなき<少年>の精神史である」。これが本の題名の由来だろう。
こうして第二章<少女の祈り>で初期作品における<少女>像が描かれる。『素晴らしき日曜日』の昌子(中北千枝子)が雄造から迫られて逃げた部屋の小さな熊の人形。「可愛く、いたいけな熊の人形は、純粋な思いに満ちた昌子の姿を象徴していた」
デビュー作『三四郎』では「雄三にとっての昌子は、三四郎(藤田進)にとっての小夜(轟夕起子)であり、熊の人形は、池に咲く白い蓮の花だった」。それは戦時下の『一番美しく』のツルを演じて後の黒澤夫人となる矢口陽子であり、戦後の『酔いどれ天使』の<セーラー服の少女>を演じる当時17歳の久我美子である。あるいは『生きる』のおもちゃ工場で働く娘である。
「轟夕起子、矢口陽子、(仁科周芳)、中北千枝子、久我美子、桂木洋子、小田切みき、と並べてみると、基本的な顔のつくり、体型が、本当に<絵に描いたように>共通するものがあることに気づく」「男たちに精神的高揚をもたらす<少女>たちは、いずれも小顔で丸顔の、かわいい豆ダヌキ型なのであった」
うまい。そうしてその原型を、黒澤が山本嘉次郎監督の助監督についた『馬』(1941)で会った16歳の高峰秀子とする。当時黒澤は30歳。あまりによくできた話だが、説得力がある。私が黒澤を苦手だと思った理由の一つは、このオヤジの自分勝手な純粋少女願望なのだと気がついた。
映画好きが1人の監督の映画を1本、1本きちんと見ていけば出てくる自然な見方なのかもしれないが、私はそんな真っ当なことができなかった気がする。
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