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2022年11月13日 (日)

岡本太郎展に考える:続き

岡本太郎の謎の一つに、いわゆる美術史上有名な運動やグループに属していないことが挙げられるのではないか。「具体美術」にも「アンフォルメル」にも「実験工房」にも「もの派」にもたぶん関係ない。「読売アンデパンダン展」などにも参加していないだろう。

10年もパリにいたから別格だったのか。それでも展覧会のパネルを読むと戦前は二科展で発表していたし、戦後は「夜の会」などの中心だったという。「夜の会」は『美術手帖』のWeb版に以下の説明があった。

「評論家の花田清輝、画家の岡本太郎が発起人となり、総合芸術運動を掲げて1948年に発足した研究会。会の名称は、当時岡本のアトリエに掛かっていた作品《夜》にちなんで付けられたものである。野間宏、椎名麟三、埴谷雄高、佐々木基一といった顔ぶれが示すとおり、その同人には、いわゆる第一次戦後派を中心とする文学者が揃っていた。後に、安部公房、関根弘が参加」

これを読む限り、美術グループというよりは、小説家、思想家の集まりだ。《夜》は1947年の作品で、白いドレスを着た若い女性が真っ暗な闇に張り巡らされた木々のようなものの前に立っている。闇、シュルレアリスム、少女といったちょうど野間宏らの「第一次戦後派」が好きそうなテーマが集まっている。

私にはむしろファスナーのついた巨大な魚が海の中を泳ぎ、穴の中で3人の子供が恐れおののくような《森の掟》(1950)や、第五福竜丸事件をもとに描かれた自然の反乱のような《燃える人》(1955)のような50年代の自由奔放なイメージの絵の方がおもしろい。1951年に東京国立博物館で出会った縄文文化の影響もあっただろう。

1960年代以降は、私には自己模倣というか、だんだん「芸術は爆発だ」のイメージに近づいたように思える。かつて文学者たちが憧れた「シュルレアリスム」というか、もはや保守的なようにさえ思えた。

実は1990年頃、岡本太郎氏と会ったことがあるのを急に思い出した。フランスのドキュメンタリー映画の巨匠、ジャン・ルーシュ氏がシネマテーク・フランセーズの理事長だった頃に国際交流基金の招待で来日した。そこの総務課にいた私は、今の角川シネマ有楽町の場所で当時は「日本映像記録センター」を運営していた牛山純一さんに頼んで、ルーシュさんの全作品上映をしてもらった。

牛山さんは日テレの「すばらしき世界旅行」などで知られるプロデューサーだが、大島渚さんや土本典昭さんのドキュメンタリー映画も作っていた。そして世界中のドキュメンタリー映画を収集していた。ルーシュさんの上映初日のレセプションパーティに現れたのが、岡本太郎さんだった。1911年生まれの彼は、1930年代のパリでマルセル・モースに人類学を学んでいた時に、ルーシュ(1917年生まれ)に会ったという。

2人は抱き合って、フランス語で話していた。ルーシュ氏が話す時、岡本さんは指揮でもするように両腕を動かしながら嬉しそうに聞いていた姿を思い出す。岡本氏を招待したのは牛山さんのはず。この時の写真が一枚もないのは惜しい。

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