« 『すずめの戸締まり』にがっかり | トップページ | 本を売る:その(1) »

2022年11月17日 (木)

電通の闇をめぐって:その(2)

新聞社の文化事業部勤務時代の後半には、社内の広告局や広告会社の社員と会うことが多くなった。展覧会や映画祭の協賛を得るために企業に行くのに、かつては文化事業部員が単独に動いていた。ところがある時から広告局から「勝手に行くな」と言われるようになり、一緒に動くことが増えた。大きな案件だと電通や博報堂の人もついて来た。

広告局からしたら、広告を出すお願いをしているのにその一方で社内の別の部署が勝手に動かれては困るという考えで、会社としては真っ当だ。クライアントである企業は、広告局に対して基本的に威張っている。ところが文化事業部が協賛のお願いに行くと「それは意義がある展覧会ですね」とまともに見てくれる。私の中では広告局と動くとかえってうまくいかない、という感触があった。

ところが展覧会によっては電通や博報堂が出資することも出てきた。あるいは彼らが最初に海外からネタを見つけてきて一緒にやりましょうという場合さえあった。1990年代後半は映画の製作委員会が始まった頃なので、彼らとしては映画製作と同じように儲かるために展覧会に出資する方式のようだった。

映画祭の場合はほとんどが私が企画から考えたが、展覧会は予算も桁違いに大きく準備にも数年かかるし数名の担当者が取り組むので、自分が一から考えた企画を実現まで担当することは珍しい。私は15年ほどのうち4本しかないが、そのうちの1つが2003年夏から東京都現代美術館と大阪のサントリー・ミュージアムで開催した「田中一光回顧展」だった。

戦後のグラフィックデザイナーの代表的存在である田中一光さんが2002年初頭に亡くなられ、私は遺族に会って回顧展を提案した。一光さんは西武百貨店を始めとして多くの企業のロゴやデザインを担当していた。私は彼と関係が深かった企業を回って協賛金のお願いをした。だいたい広告局の担当者と一緒だったが、新聞へ広告を出さない企業は単独で動いた。

これが珍しく調子がよく、5千万円の「特別協賛」1社、500万円の「協賛」数社、100万円の「協力」数社が決まった。問題は協賛の1社が協賛金を電通経由で払いたいと言ってきたことだった。そうすると15%を抜かれることになるので、私は電通の担当者に全額寄こせと主張した。ここには広告は関係ないと。

ところが手数料で食っている広告会社は、お金の素通りは許さない。10%でどうかと提案が来たが私は折れなかった。最後は広告局の部長が私の上司の部長に依頼する形で5%に決まった。驚いたのはその年末である。電通からお歳暮としてタオルセットが自宅に届いた。電通の新しいロゴの小さなリボンが付いたオフホワイトの上質のフェイスタオルだった。

「重要人物」と見なされたのだろうか。それにしても誰が住所を教えたのか。その後もお中元、お歳暮と続いた。白いタオルは便利なので私は平気で使っていた。ところが4年後に編集局の文化部記者に異動になった途端に来なくなった。さすが。広告会社の手数料と言えば、私は白い電通タオルを思い出す。考えてみたら立派な賄賂だったが、このタオルを受け取った人は実は数多いのではないか。

|

« 『すずめの戸締まり』にがっかり | トップページ | 本を売る:その(1) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『すずめの戸締まり』にがっかり | トップページ | 本を売る:その(1) »