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2022年11月 3日 (木)

映画を見過ぎると:その(1)

東京国際映画祭と東京フィルメックスで、久しぶりに1日に2本や3本映画を見ている。大学生の時初めてカンヌに行って、嬉しくて一日に6本ずつ見たことを思い出すが、今は3本が限界。これ以上見ると目が痛いし、頭がクラクラしてくる。

果たして映画を見続けるとどうなるのだろうか。映画評論家の佐藤忠男さんは70年以上映画を見続けたはずなのに91歳までお元気だったので、寿命が縮むということはなさそうだ。フランスのミシェル・シマンのように80歳を過ぎて三大映画祭ですべてのコンペ作品を見る評論家もいる。

私は映画を学ぶ大学生には、とにかく4年間で千本の映画を見るように言う。「千本ノック」と呼んでいるが、それだけ見ると映画とは何かが確実にわかってくる。もちろん趣味の問題はあるが、国や時代ごとのスタイルやさまざまな技法や才能の多様な形が見えてくる。それだけ見た学生とはだいたい話が通じる。

しかし、それを一生続けてはいけない、というか続けられない。普通は大学を出たら仕事をするので、そんなには映画を見ることはできなくなる。うまく映画評論家やライターになっても、文章を書くのは時間が必要だし調査や取材もあるので、250本は物理的に無理だ。

ところがどういう仕事をしているのか、とにかく映画を大量に見続けている人がいる。私が1992年に「レンフィルム祭」で映画祭の企画屋を始めた頃から、リュミエール、メリエス、ルノワール、ホークス、ドライヤー、ラング、ムルナウなど私が手がけた作家性の強い映画祭に通ってくれた映画マニアたちだ。

彼らはイタリア映画祭やドイツ映画祭やポルトガル映画祭のように新作を集めたものでも、マルコ・ベロッキオの新作など目ざとく見つけてやってくる。私は彼らの顔を数十名覚えているが、今でも数名は東京国際映画祭で見かける。もはや白髪だったり禿げたりしているが、男性ばかりで着ているものは一切気にしていない。

ある友人は彼らのことを「映画の落ち武者」と呼んでいた。映画を見過ぎることに一生をかけて、体はボロボロになりお金もなくなる。「映画を見る」ことにしか価値を見出さない。「映画獣」と呼ぶ人もいた。映画を見るだけの「けもの」である。

数十名のうちにずいぶん身なりのいい色白の同世代の男性が1人いた。ある時彼をテレビで見て驚いた。何と防衛省の高官だったのだ。最近は見ないが、どうしているだろうか。今日はここまで。それにしても、東京国際映画祭の審査結果にはがっかりした。

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