パゾリーニ映画祭のこと
今年、11月30日に四方田犬彦さんの書下ろし3000枚(=120万字!)の大著『パゾリーニ』が出た。私は事前に予約して発売日に入手したが、2段組で1000頁を超す分厚い本はとても持ち歩けない。だから自宅に置いて暇な時に読むが、椅子に座るとすることが浮かんで、一向に進まない。
それでもパラパラとめくって、気になった頁を読んだ。こういう厚い本は前書きと後書きを先に読むが、後書きに1999年のパゾリーニ映画祭のことが書かれていた。『テオレマ』などに出演し、パゾリーニの死後「パゾリーニ財団」の専務理事として切り盛りしていたラウラ・ベッティさんに触れたあたり。
「1999年に東京ユーロスペースがパゾリーニ映画祭と銘打ち、多くの回顧上映を行なおうとしたときには、日本の愚劣なる検閲制度に怒りまくり、「パゾリーニは2度殺されてしまった」と抗議の手紙を発表している。仲介の労を取った田中さんは、さぞかし苦労されたと思う」。田中さんは映画評論家で監督作品もある田中千世子さんのこと。
同じく今年9月に出た本に堀越謙三著『インディペンデントの栄光』があったことはここに書いた通り。そのなかでヨーロッパの配給会社と協力してネガの洗浄の費用を折半した話が出ている。「確かその時にイタリアにいた四方田犬彦さんにもパゾリーニ財団の人を紹介してもらったりとお世話になった」と書かれている。
田中千世子さんは2019年に『ジョヴェントゥ ピエル・パオロ・パゾリーニの青春』という本を出している。その中では「私が最初に東京でのパゾリーニ展開催の夢を話してから何度目かのフォンド訪問で、ベッティさんの方から東京で開催したいと、切りだしてきた。そこからはトントン拍子に事が進み、問題も生じたりしたが、1999年春、東京を中心に日本でパゾリーニ展が実現したのである」。フォンドは財団のこと。
3人とも私の名前は書いていないが、故・坂川栄治さんの素晴らしいデザインでポスターやチラシを作り、100頁の黒いカタログを編集したのは私だった。私の記憶だと1998年の春頃に、田中さんから朝日新聞社主催ででパゾリーニ映画祭をできないかと依頼があった。リュミエール、メリエス、ジャン・ルノワール、韓国映画祭と続けていたからだろう。
既に2001年のイタリア年の準備を始めていた私は1998年のベネチア国際映画祭の後に、田中さんに連れられてローマのカヴール広場にあったパゾリーニ財団のラウラ・ベッティさんを訪問した。パゾリーニの全作品の35㎜プリントを借りる約束を何とか取り付けたが、東京に帰ると後期作品に税関検査でひっかかる作品が数本あることがわかった。
私は東京国際映画祭が東急文化村の会場でやったように、有楽町朝日ホールや川崎市市民ミュージアムを「保税倉庫」扱いにする交渉を東京税関と始めた。続きは後日書く。
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