「国宝 東京国立博物館のすべて」を見て:続き
前に書いたように、見たい「国宝」が展示期間の問題であまり見られなかった私には、「第1部 東京国立博物館の国宝」よりも「第2部 東京国立博物館の150年」の方がおもしろかった。この博物館の成り立ちや建築などについて知ることができたし、国宝ではないが好きな作品も展示されていた。
東博の起源は150年前の1972年、「湯島聖堂博覧会」である。博覧会と言えば、1851年の第一回ロンドン万国博覧会が大成功に終わり、1954年にはそれに負けじとパリで万国博覧会が始まる。それから20年ほどで日本にも博覧会が始まったのだからずいぶん早い。
そこで何を展示するのか。日本が最初に海外の万博に参加したのは1967年のパリだから、そこに行った者たちは博覧会がどんなものかを見たに違いない。とにかく貴重なもの、珍しいもの、普通の人々が見たいものを並べるものだと理解したのだろうか。湯島聖堂博覧会には、菱川師宣の《見返り美人》、土佐光信の《清水寺縁起絵巻》などのほかに、名古屋城の「しゃちほこ」も展示されている(この展覧会では実物大のレプリカ)。
あるいは安土桃山時代の陣羽織、鎌倉時代の舞楽面や龍笛など何でもありだが、一般的には「工芸」が多い。海外の万博に出したのもほとんど工芸で、やはり絵画のように「美」で勝負するよりも、日本人特有の器用な細工を見せたかったのかどうか。
1881年には今の場所にジョサイア・コンドルによる旧本館ができている。ところがこれは1923年の関東大震災で倒壊する。今の和洋折衷の帝冠方式の本館は1938年に建てられたものと知った。正面に向かって左側の表慶館はまるでフランスの宮殿のようだが、これは1909年の大正天皇のご成婚記念という。
調べればすぐわかることだが、なぜ表慶館の方が本館よりも洋風なのかという長年の疑問が一挙に解けた。表慶館は日本が世界に認められたくて洋風建築を建てた時期で、新本館の頃は日本は列強として韓国を併合して満州事変、日華事変へと進む勇ましい時代だ。だから天井に日本式の屋根を乗せる和風が必要だった。
第2部には縄文時代の宇宙人のような《遮光器土偶》や酒井抱一の《夏秋草図屏風》があって、どちらも国宝ではなく重要文化財だけど、私のお気に入りでたっぷりと見た。このあたりは客もまばらでよかった。そんなこんなで、第1部、第2部を見て2000円は高いが満足ではあった。
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