芥川龍之介の旅行記を読みながら:続き
『芥川竜之介紀行文集』についてもう少し書く。この本で興味深いのは「西洋」に対する微妙な感情である。それは中国への旅行記にも反映されている。彼は明治半ばの1892年生まれで1927(昭和2)年に自殺しているが、大正時代に既にそうした意識があったとは。
例えば『長崎小品』という掌編がある。これは長崎で江戸時代の洋風絵画や陶器などの南蛮コレクションを見て浮かんだ妄想で、そこに描かれたオランダ人たちの会話が描かれる。司馬江漢筆のオランダ人は、オランダ製の皿に描かれた「阿蘭陀の女」に惚れている。白磁の慈母観音像の麻利耶観音が聞いてみると、「わたしは日本出来や支那出来の方は虫が好かないのです」と言う。
そして麻利耶観音に向かって「第一あなたさえ平戸あたりの田舎生まれではありませんか?」「成程あの方もこの国では、阿蘭陀人と云うかもしれません。しかしほんとうは阿蘭陀人どころか、日本人とも西洋人ともつかない、つまりこの国の画描きの拵えた、黒ん坊よりも気味の悪い人です」
それらの南蛮物を見ながら、客と主人が話し合う。客は日本の南蛮物の女の方が「阿蘭陀出来の皿の女より、よほど美人ではありませんか」「日本出来の南蛮物には西洋出来の物にない、独特な味がありますね」「其処から今日の文明も生まれてきた。そこからもっと偉大なものが生まれるでしょう」と言う。
日本の明治以降の西洋化は奇妙な中途半端の産物を生み出したが、大正時代の日本人はそれを肯定しようとしている。芥川はその自画自賛の「日本すごい」的な誇大妄想を苦々しく思っているが、どうしようもない。彼が自殺した「漠たる不安」とはこの延長線上にあるのではないか。
『上海游記』は大阪毎日新聞の派遣で上海に行く時の日記だが、あちこちにおかしな話がある。門司から船に乗って玄界灘を行く時に、船が激しく揺れる。船酔いをした芥川は「一心に、現在の苦しさを忘れるような、愉快な事許(ばか)り考えようとした。子供、草花、禍福の鉢、日本アルプス、初代ぽんた、――後は何だったか覚えていない」
この本には細かい注がある。「禍福の鉢」は中国旅行直前にもらった有田焼、「日本アルプス」は1909年に府立三中の友人と槍ヶ岳に登った記憶、「初代ぽんた」は新橋の名妓という。子供や槍ヶ岳の思い出から芸者まで、それらが無秩序に浮かんだというからおかしい。
今からちょうど100年くらい前の芥川龍之介について考えると、妙に楽しい。中国に着いてからのの話もおもしろいので後日書く。
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