中村敬子さんが亡くなった
中村敬子さんが亡くなって、先日「お別れの会」に出た。吉田喜重さんと違って、中村敬子さんは一般には知られていない。フランスのシャンソンを中心とした歌手の日本公演を長年手がけたことで、音楽業界ではよく知られた方だった。
私は音楽業界は全く知らないし、知り合いもほとんどいない。それなのに、なぜか彼女とは何度も会っていろいろな話をした。最初に会ったのは新聞社の文化事業部の頃で、当時の部長が彼女を悪く言っていた。「あの人は何でも社長に直接持って行くから困る」
中村さんはジュリエット・グレコを始めとしてシャンソン歌手の招聘で知られていたが、その時はなぜかジャン=ポール・ベルモンド主演の舞台『シラノ・ド・ベルジュラック』の日本公演だったと思う。シャンソンと違って演劇は何倍もお金がかかる。その公演費用の出資を新聞社に頼んでいたのだ。
もちろん出資だから公演が黒字になれば収益になるのだが、客が来ないと億単位の赤字になる。そのリスクを取るか決めるのに、社長がOKをしていたのでは判断のしようがない。これが部長の意見で、それ自体はよくわかる。
だから最初はいい印象はなかったが、なぜか私は仕事と関係なく彼女と会う機会があった。フランス大使館の昼食会や夕食会、東京日仏学院のパーティなど、フランス関係の集まりで何度も彼女と同席した。フランス語ができてその場を盛り上げる存在として、彼女も私も便利がられていたのかもしれない。彼女は見たフランス映画についての私の意見を聞きたがった。
何がきっかけか忘れたが、ある時期私はポルトガルのマドレデウスというグループの音楽が好きで、よくCDを聞いていた。日本公演があるのでチケットを買っていくと、彼女が招聘元だった。私が金を払って来ているのを見て彼女は「古賀さんは映画だけでなくてコンサートにも来るのね」と喜んでいた。
それからはジェーン・バーキンとかアンナ・カリーナとか映画に関係する女優のコンサートがあると、直前に電話がかかってきて「席が余っているから来てね」と誘われた。2005年頃、暇だった私はホイホイ出かけた。考えてみたら、こちらからは何のお返しもしていない。
中村敬子さんと言えば、長身で短髪で痩せていて中性的な佇まいから発するハスキーだがかん高い声と素敵な笑顔が印象的だった。「お別れの会」で飾られていた写真を見ると、あの声が蘇った。76歳は早い。しかし「76歳くらいがちょうどいいかも」と、この会に来ていた100名ほどのうち数少ない知り合いに話した。
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