芥川龍之介の旅行記を読みながら
これまた近所のかもめブックスで買ったのが、岩波文庫の『芥川竜之介紀行文集』。なぜ「龍之介」ではなく「竜之介」なのかとは思ったが、芥川と旅行という組み合わせが気になった。何となく旅行などはしない人かと思った。
冒頭の「松江印象記」にいいなと思った。「松江へ来て、先(まず)自分の心を惹かれたのは、「この市(まち)を縦横に貫いている川の水とその川の上に架けられた多くの木造の橋とであった」で始まる。
川の多い町は多いが、おおむね「第三流の櫛形鉄橋を架けてしかもその鉄橋を彼等の得意な物の一つに数えていた」と書いて、鉄橋を非難する。「自分は此間(このかん)にあって愛す可き木造の橋梁を松江のあらゆる川の上に見出し得たことをうれしく思う」
松江には20年ほど前に1度しか行っていないが、その川の静かな佇まいが好きだったことを覚えている。しかしそこの橋が木だったか鉄だったかは記憶にない。芥川がこの文章を書いたのは1915年だから、百年が過ぎた今日はすべて鉄に代わっているかもしれない。しかしこの文章で私の中の松江の橋は、すべて木製になった。
「京都日記」を読んでいて「あっ」と驚いた。芥川は人力車に乗って宿の名前を言うが、車夫はそれを知らない。
「この辺じゃおへんかと云う。提灯の明りで見ると竹藪があった。それが暗(やみ)の中に万竿(ばんかん)の青をつらねて、重なり合った葉が寒そうに濡て光っている。自分は大へんな所へ来たと思ったから、こんな田舎じゃないよ、横町を二つばかり曲ると、四条の大橋へ出るところなんだと説明した。すると車夫が呆れた顔をして、ここも四条の近所どすがなと云った」
するとすぐに歌舞練場前に出て「自分は始めてさっきの竹藪が、建仁寺だったのに気がついた」。私にもちょっと似た経験があった。今年の6月に学会で京都に行った時、まさに四条の大橋の近くの小料理屋で食べた。シメにサバサンドを食べて実においしかったが、スマホで見ると祇園にあるホテルが近い。
スマホを見ながら歩き出すと、まさに建仁寺があって夜中でも通り抜けることができた。酔っ払って竹藪を横目に見て急ぎ足で歩きながら、こんな田舎のようなところがあるんだと不思議に思った。そうして建仁寺を出ると、そこは賑やかな通りがあってホテルがあった。
芥川は「それ以来自分が気をつけて見ると、京都界隈にはどこへ行っても竹藪がある」と書く。さて百年後の今の京都にどれほど竹藪が残っているだろうか。でもこの文章を読んだことで、私の中の建仁寺の闇は永遠に記憶された。
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