贅沢な日々:その(1)
先日、ホテルの夢の話でかつて高級ホテルに泊まったことを書いたら、いろいろ思い出した。80年代後半のちょうどバブル期の頃に就職した私は、数年経つと「贅沢」を美徳とするようになった。それは実は、ある時作家の村上龍が語っていた言葉がきっかけだった。
彼はどこかの対談で「一流の男になるには贅沢を知らないといけない。それから世界の情報に絶えず触れないといけない」という意味のことを語っていた。「一流の男になるには」と書いた時点で今では「マッチョ」と笑われそうだが、20代後半の私はそうかと思った。
もともとは大学ではフランス文学を専攻していたし、それから大学院で映画を研究していた。4年生の時に1年間パリに留学した時は、鉄パイプの入ったリュックで出かけたし、安ホテル、安食事が原則だった。学食でなければ、アラブ人のやっている安いクスクス屋さんか、犬の肉を出すという噂のあった安い中華にばかり行っていた。
それは東京で大学院に行っても同じ。ところが外務省系の団体に就職すると、ずいぶん金持ちがいた。聞くと外交官の子息がコネで入ったらしかった。そこで5年ほど働くと、パリに3カ月語学研修に行くことができた。その時は手当を含めると給料の3倍くらいもらったので、思い切り贅沢をしようと思った。
1992年の7月から9月だったと思う。国際映画祭を回って、ロカルノのグランド・ホテルやエジンバラのカレドニアン・ホテルやサン・セバスチャンのマリア・クリスチーナに泊まった。ホテルを決めるには旅行ガイドを買って、一番豪華そうなホテルにファックスを送って予約した。電話もしたと思う。
おかしかったのはカレドニアン・ホテルに泊まった時。ここはエジンバラ演劇祭とそれに併設された国際映画祭を見に行ったが、物見遊山で3泊のみだった。そのホテルでは一番安い3万円超のシングルを予約したはずが、なぜかずいぶん広いスイート・ルームに通された。それは「プレジデンシャル・スイート」と書かれた分厚いドアの向こうにあったが、3部屋あって窓からはお城が見えた。
2泊した後の朝、フロントから電話があった。「間違いがあったので、部屋を代わっていただけないか」。もちろんこちらは2泊も贅沢な思いをしたので十分満足で、喜んでシングル・ルームに移った。それにしても30過ぎのアジア人が偉そうに大きな部屋にふんぞり返っていた姿は、想像するだに滑稽だ。
その「研修」では高級レストランにもいくつか行ったが、それは後日書く。
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