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2023年1月 6日 (金)

「鉄道と美術の150年」とは

東京駅に行く用事があったついでに、東京ステーションギャラリーでこの9日(月)までの「鉄道と美術の150年」展を見た。今年は新橋―横浜間に1872年に鉄道が開通してちょうど150年という。東京駅の建築を復元した一角にあるこの美術館ならではの企画だろう。

実は20年ほど前に、同じ美術館で「鉄道と絵画」という展覧会があった。これは1830年の英国での鉄道開業から絵画との関係を見せるもので、モネが描くサン=ラザール駅の絵画なども含め、西洋美術が半分近くあった記憶がある。

今回は日本の鉄道150年ということで、あくまで日本の美術がどのように鉄道を描いてきたかを150点ほどの展示で見せている。鉄道や列車や駅を描いた絵や版画や写真がこんなに多いのかと驚くが、所蔵先を見ると本当に全国津々浦々でまさに学芸員の力業というべき展覧会である。

最初にはペリーが持ってきた蒸気機関車の絵が何種類も出てくる。そして1970年の開通直後の浮世絵の華やかさに目を見張る。河鍋暁斎や高橋由一などのスケッチに交じって勝海舟の墨絵まであった。暁斎の《地獄極楽めぐり図》(1872)の中の「極楽行き列車」は極楽に向かう霊柩車のような列車を天女たちが迎えに来ている。

そして私の好きな明治の浮世絵師、小林清親の作品もあった。《新橋ステンション》(1881)は新橋駅前に集まる人々を影絵のように描く「光線画」の代表作。最初は鉄道の開通を喜び称える絵画が多いが、20世紀になると赤松麟作の《夜汽車》(1901)のように朝方に疲れた庶民たちを描くような「社会派」も出てくる。

木村荘八の《新宿駅》(1935)は、今のたぶん南口の改札付近だろうが、暗澹たる空間に無数に集まってきた大衆を描く。上に見える「クラブ」とか「ライオン」とかの看板だけが輝いている。佐藤哲三の《赤帽平山氏》(1929-1930)は疲れたようにキセルを燻らす姿が、まるでゴッホの絵のよう。

実を言うと、私が知らない画家が多い。たぶん名前を9割は聞いたこともない。おそらく有名な画家は鉄道のような新しい今風の題材は避けたのではないか。ちょうど小津安二郎が戦争を見せる映画も、戦後民主主義を押し出す映画も作らなかったように。

しかし小津といえば、『晩春』の鎌倉から東京へ向かう列車や『東京物語』のラストの尾道の列車のように、たえず本物の列車を映画に登場させた監督だった。「鉄道と映画」ならば、リュミエール兄弟の「列車の到着」に始まって美術以上に出てきそうだ。

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