ホテルの夢
夢では外国のホテルがよく出てくる。最近は小さめで少し高級ないわゆるプチ・ホテルが好みだが、夢ではゴージャスな大ホテルが出てくることが多い。ベネチアのリド島のオテル・デ・バンとかロカルノのグランド・ホテルとか。どちらも1度だけ泊まったが、今や閉鎖されている。
どちらも営業していないのに、建物はそのまま。正面に立つと、入口の門が閉ざされているから何だか一時代の栄華が終わったような、寂しい気持ちになる。先日夢に出てきたのは、そんな感じの100年ほどたったような大ホテルだった。
私は映画祭の会場に出かけた。ところがある会場に行くと映写機の故障で上映開始はいつになるかわからず、別の会場に行くとなぜか予定より早く始まったという。私はいらいらして、ホテルに戻った。
すると部屋になぜか母と2つ上の姉がいた。今からおいしいものを食べに行くから来ないかという。私はなぜか蚊やハエの退治が先だと言い張り、持ってきたはずの蚊取り線香を探すが出てこない。そこで受付に電話をしようとしたら、電話線が切れてしまった。そこで目が覚めた。
考えてみたら、今から30年ほど前、母と唯一海外旅行をした時に泊まったのは「それなり」の大ホテルだった。パリでは「サン・ジェームス」という市内では珍しいシャトー・ホテルに泊まり、ベネチアでは「ヨーロッパ・エ・レジーナ」を選んだ。超高級ではないが、一応格式の高いホテルを母の思い出になるように考えて選んだ。
ずっと九州にいる母は、いわゆるプチ・ホテルは評価しないだろうと勝手に考えた。ホテルに着くと喜んで大きなホテルの中を散歩していたのを思い出す。「ヨーロッパ・エ・レジーナ」は大運河に面しており、我々の部屋の窓からそれが見えた。母は船頭が歌を歌いながら目の前を通るゴンドラを楽しそうにいつまでも見ていた。
「ゴンドラに乗ろうか」というと喜んでついて来た。しかし乗り場に行って値段を聞くと「そりゃ、高かばい。窓から見とる方がよか」と言ってまたホテルに戻った。夕食は「ハリーズ・バー」に行ったが、日本で毎日ご飯を食べている母はリゾットを喜んだ。パリでは今はなき「ジャマン」のような高級店に行ったほかは、中華などアジア系の食事にした。
私がリド島のホテル・デ・バンやロカルノのグランド・ホテルに泊まったのも、90年代だった。あの頃はほかにもサン・セバスチャンのマリア・クリスチーナとかエジンバラのカレドニアンとかシチリア島のタオルミーナにあるサン・ドメニコとかずいぶん高級なホテルに泊まったのを思い出した。
今頃になって、そんな「栄光の日々」が母の思い出と共に蘇る。
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