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2023年1月16日 (月)

本を売る:その(3)

200冊を超す本、その大半は大判の美術カタログを古本屋に売って、さぞ自宅にスペースができたと思われるかもしれない。私もそう思っていたが、そんなに簡単ではなかった。私の自宅には作り付けた本棚がすべての部屋にある。

25年前に新築で住む時に、かなり大きな本棚を作ってもらった。それから5年ほどたって、さらに空いた空間に本棚を作った。そして20年、その間大学に転職したので映画の本の多くを移したが、大学は研究費もあるので前より本を買うようになった。

なぜ美術展のカタログが多いかといえば、そのオープニング内覧会に参加して無料でもらってきたから。200冊のうち半分はそういうカタログで本当は関心のないものも多かった。なぜ内覧会に行くかと言えば、少なくとも新聞社の文化事業部時代は、学芸員や美術史の先生方と気楽に話せる絶好の機会だから。

大学では映画を教えるので美術はあまり関係はないが、最初の数年はよく内覧会に出かけた。今から思うと、昔の仲間や知り合いに会いたくなったのだろう。だから美術展カタログは増えていった。最近はさすがに内覧会の招待状はあまり来なくなったが。

今から5年ほど前から自宅で本が溢れ始め、床など空いた空間に本を積み始めた。本棚というのはよく上に小さな空間ができる。そこに文庫本やDVDを入れたり、展覧会のチケットやもらった名刺、壊れた時計、毎年の年賀状、大事な手紙、映画祭のIDカード、領収書などもすべて埋め込んでいた。

ところが200冊を取り出したら、それらがすべて床に落ちてきて、床は埋まってしまった。そのうえ、大量のほこりが出た。床に置いていたカタログや本は空いた本棚に詰めたが、名刺や手紙などは置く場所がない。当面、私の部屋は200冊引き取り前よりも混乱状態に陥ってしまった。

その混乱の中で、2020年5月に新潮新書を出した時にその1年半前に新潮社の知らない編集者からもらった手紙とか、働き始めたばかりの時に無理をして買った5万円の時計とか、イタリアの新聞に取材された掲載紙とかいろいろ懐かしいものも出てきた。

同時に「これは売るべきだった」というカタログや本が少なくとも20冊は出てきた。さすがにこの量では来てもらえないので、同じ古本屋に宅配便で送って売ろうかと考えている。

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