マリオ・カメリーニの時代が来た
コスミック出版はいわゆる「著作権切れの安売りDVDボックス」を大量に出しているが、とりわけイタリア映画がすごい。なんと全部で8巻(×10本ずつ)も出ている。最新のボックスに、マリオ・カメリーニ監督『殿方は噓吐き』(1932)があったのには驚いた。
マリオ・カメリーニはイタリアのファシズム期を代表する監督だが、驚くべきことに大半は都会喜劇でプロパガンダ映画らしさはほとんどない。戦前の日本では、『殿方は噓吐き』と『ナポリのそよ風』(1936)の2本だけが公開された。
このコスミック出版のボックスには、これまで『いつまでも君を愛す』(1932)、『百万あげよう』(1935)、『ナポリのそよ風』があったが、これに『殿方は噓吐き』が加わってカメリーニの黄金時代をかなり見ることができるようになった。
イタリア映画は1910年代の史劇やディーヴァ映画が世界を驚かせて以降は、第二次世界大戦直後に「ネオレアリズモ」が世界の映画に影響を与えるまでは、ある種の沈滞期という見方がイタリアでも強かった。1920年代は製作本数も極端に減っているので確かにそうかもしれないが、1930年代は実はそんなことはない。
そもそも世界初の国際映画祭が1932年にベネチアに創設され、その数年後にチネチッタや映画実験センター(いわゆる「チェントロ」=国立映画学校)もできて、映画を国が支える仕組みができあがった。フランスなどほかのヨーロッパ諸国が戦後に始めることが、イタリアではファシズム期に作られていた。
この時代に最も重要な監督がマリオ・カメリーニとアレッサンドロ・ブラゼッティだが、どうしてもファシズムを糾弾したようなイメージの「ネオレアリズモ」(実際には例えば『自転車泥棒』に戦争の影は全くない)が世界的な話題となると、どうしてもファシズム期の映画は評価しにくくなる。カメリーニは戦前に2本が公開されたが、ブラゼッティは1本も封切られなかった。
その後カメリーニの映画が日本で上映されたのは、2001年にイタリア年で私がフィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)で企画した「イタリア映画大回顧」で、『いつまでも君を愛す』と『ナポリのそよ風』が上映された。これは映画を貸してくれたイタリアの映画アーカイブであるチネテーカ・ナチオナーレの提案だった。日本側は「わからないからOKしよう」という感じだったと記憶する。
チネテーカ代表のアドリアーナ・アプラ氏はその時のカタログに「カメリーニはそのユーモアと洗練された軽妙さから、フランク・キャプラ、ルネ・クレール、エルンスト・ルビッチと同列に並べられるべき監督である」と書いた。それから20年余りたってDVDが4本出て、ようやくカメリーニの時代が来た。その抜群のおもしろさについては後日(たぶん)書く。
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