『すべてうまくいきますように』:続き
フランソワ・オゾン監督の『すべてうまくいきますように』について一昨日書いたが、映画そのものについてあまり語っていなかった気がするので書き足す。まずこれは、安楽死、あるいは尊厳死を扱った映画である。それを生真面目に扱うのではなく、ユーモアとサスペンスまで含めて見せ切るところにこの監督の真骨頂がある。
邦題と原題は似ているようでだいぶ違う。原題Tout s'est bien passeは「すべてうまくいきました」と過去形で、邦題の希望的な未来形とは意味が異なる。「すべてうまくいきました」とは映画の終盤でスイスの安楽死支援団体の女性(ハンナ・シグラ)が電話で語る言葉から来ている。
85歳の父親(アンドレ・デュソリエ)は安楽死を望む。ソフィー・マルソー演じる娘は最初はとんでもないと考えるが、次第に父の気持ちを理解し、スイスでは合法的な尊厳死が可能であることを調べる。いろいろあって(これがおもしろい)自分は同行せず、父親を救急車でスイスに送り込む。
そしてスイスから電話があって「すべてうまくいきました」。つまり、「お父様は無事に安楽死ができましたよ」という意味である。この題名を見て高齢者の安楽死を扱った映画だと聞けば、フランスの観客は安楽死がうまくいく話だとわかっていながら見に行くことになる。しかしこの原題だと日本では題名自体がネタバレになってしまう。
「映画はネタではない」ので、私はこのブログでは平気でネタバレも書く。この映画に関して言えば、安楽死という結末までにどのような過程を経てゆくのかがこの作品の見所なので、それをネタバレと考えるのは映画がわからないとしかいいようがない。最近映画を倍速で見ることが話題になっているが、ネタだけを楽しみに見る人々はそれでいいのかもしれない。
さて映画に戻ると、ソフィー・マルソー演じるエマニュエルは男まさりの性格で父親に愛されていた。妹のパスカルはそうでもなく、よくある愛情の差が微妙な関係を生む。父親は自ら安楽死を言い出すが、最後まで人生を楽しむために決行の日を数カ月延ばす余裕がある。
つまり大好きな孫のコンサートに出たり、愛するエマニュエルとその夫を挟んでお気に入りのギャルソンのいるレストラン「ヴォルテール」で夕食をしたり、かつてのゲイの恋人を病室に呼び寄せたり。
このままうまく行くと思いきや、終盤で映画は一気にサスペンス調になる。父親がスイスで安楽死を準備していることが警察にばれ、姉妹は出頭を命じられる。エマニュエルは弁護士(フェリックス・メスギッシュ!)を電話で呼び出す。それからはほとんど活劇のようだ。
これは結末がわかっているからこそむしろ楽しめる、つまりは本物の映画である。
| 固定リンク
「映画」カテゴリの記事
- 少しだけ東京国際:その(5)(2024.11.06)
- 少しだけ東京国際:その(4)(2024.11.05)
- 少しだけ東京国際:その(3)(2024.11.04)
- 少しだけ東京国際:その(2)(2024.11.03)
- 少しだけ東京国際:その(1)(2024.10.30)
コメント