『丘の上の本屋さん』に考える
3月3日公開のクラウディオ・ロッシ・マッシミ監督のイタリア映画『丘の上の本屋さん』を試写で見た。古本屋の話と知って、ぜひ見たいと思った。最近私は2回も大量の本を古本屋に売った。1回目はここに書いたように吉祥寺のYという書店で、自宅に来てくれた。
その店主の雰囲気がよかった。同じサイズの本を集めながら、たまに本を開いて中を見て「これは珍しい本ですねえ」。5万円の現金を置いて「また呼んでください」「本はどんどん買って、どんどん売ってください」。極めて好印象だった。こうして自分が昔買って十年以上も背文字だけを見ていた本が、知らない誰かに買われて読まれるなんて、何とすばらしいと思った。
『丘の上の本屋さん』には、冒頭にある言葉の銘板が出てくる。「持ち主が代わり、新たな視線に触れるたび、本は力を得る」。カルロス・ルイス・サフォンの『風の影』(2001)からの引用だが、吉祥寺の古本屋さんと接して感じたことがまさにこのことだった。
実を言うと、見終わった感想としては、映画としては甘いというかゆるいというか、驚きはなかった。ただ、この言葉を最初に読んだ瞬間から、そんなことはどうでもよくなった。山村の古本屋の老いた店主リベロは、毎朝広場に面した店に歩いてやってきては鍵を開けて店を開く。隣にはカフェがあって、そこで働く青年はリベロが外出する時に店の番をするなど優しい。
この店にはいろいろな客が訪ねてくる。ゴミ箱から本をあさって売りに来る青年やヒトラーの『わが闘争』の初版本を探すスキン・ヘッドの男、女主人のためにフォトコミックを探す若い家政婦、自分がかつて出した本を探しているといいながらラテン語の辞書を売る「教授」など。古本屋には日本でも実際にヘンな客がいそうだ。
リベロは、どんな客にも丁寧に接する。売ったり、買ったり、小銭のやりとりで何とか回している。そこにブルキナファソ出身の少年エシエンがやって来た。リベロは彼が読みたそうにしていたコミックを貸してあげる。翌日それをエシエンが返しに来たら、リベロは別の本を貸す。そんな形でエシエンはどんどん本を読んで感想をリベロに話す。このやり取りが気持ちいい。
本屋には、なぜか発禁本のコーナーがある。ダーウィンの『種の起源』とかカントの『純粋理性批判』とかフロベールの『ボヴァリー夫人』とか。このコーナーは売らないというから、これはリベロの趣味だろう。こんな重要な本がかつては発禁本になったことを見せたいのか。
映画の原題はIl diritto alla Felicita'=「幸せになる権利」で、これはリベロがエシエン少年に言う言葉だ。本を読むことで、誰でもこの権利を手に入れることができる。何十年も何百年も前に書かれた本が現代人を幸せにする。本とは不思議なものだ。
見終わって調べたら、カルロス・ルイス・サフォンはスペインの作家で『風の影』ほか翻訳も数冊あった。私はさっそく『風の影』文庫上下をアマゾンで発注した。これまたこの映画の効果。ところで、私の2回目の本の大量売却はすべて仏語の本だったが、これについては後日書く。
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