イタリア映画史を書く:その(2)
その(1)でイタリア映画史の本がないことは書いたが、ではなぜ私がイタリア映画史を書くのか。単純に言うとイタリアが好きで北のトリノから南のシチリアまで旅行しているし、イタリア映画もたくさん見ているから。それもあって2001年の「日本におけるイタリア年」では、「イタリア映画祭」と「イタリア映画大回顧」を企画した。
「日本におけるイタリア年」とは日伊両政府が合意した文化交流イベントで、1998年にイタリア大使館から新聞各紙の事業部に連絡があって、2001年に「イタリア年」をやるから企画を出して欲しいというところから始まった。私は新作映画上映会と歴史的回顧の2つを提案し、採用されてイタリア側の予算もついた。
「イタリア映画祭」は新作の上映だが、最初の年は「1990年代の秀作」と「イタリア旅行」(つまり各地の映画を集める)というテーマを作った。イタリアから大量の90年代のVHSが送られて来て、それを端から見ていった。この年は記者会見を来日代表団と共にイタリア大使館でやり、ヴェネツィア国際映画祭に馴染みの深い北野武さんに特別ゲストで来てもらった。
その一方でフィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)で「イタリア映画大回顧」の準備も進めた。映画を貸してくれるチネテーカ・ナチオナーレのトップのアドリアーノ・アプラさんから来たリストに、こちらで意見を述べて55本を選んだ。選ばれた作品のうち2/3は私が見ていないものだった。仕事と称して毎日通って全部の作品を見た。
「イタリア映画祭」はイタリア側の要請もあって毎年やることになり、私は2007年で社内異動になるまで担当した。毎年ヴェネツィア国際映画祭に行き、その後にチネチッタで試写を組んでもらい、追加でVHSを送ってもらった。そんな関係で90年代から2000年代半ばまでのイタリア映画は相当にくわしくなった。
さて、集英社新書からイタリア映画史のGOサインが出たのは2021年の6月頃だと思うが、書き終えたのは翌年の9月末。12万字ほどの原稿になぜそんなに時間がかかったかと言えば、単純に見ていない重要な作品が山のようにあったから。そもそもサイレント期は「イタリア映画大回顧」で上映したもの以外は見ていない。
よかったのはトリノ映画博物館のサイトなどで、それらをストリーミングで見ることができたこと。またYoutubeでは重要な映画はほぼ全部(なかには英語字幕付きも)見ることができた。それでも今回の本でサイレント期は全8章のうちわずか1章で、短すぎたと反省している。
この続きは後日。なお私の友人でこの本が送られてくるはずだと思っている方は、この数日で届くのでしばしお待ちを。なお、序文の一部はこのサイトの左側の「試し読みページを開く」から読める。
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