« 「論座」が終わる | トップページ | 『戦争は女の顔をしていない』に愕然 »

2023年2月21日 (火)

『別れる決心』に退屈する

パク・チャヌクの新作『別れる決心』を劇場で見た。これが私にはひどく退屈だった。最近『バビロン』に落胆したのとは別の種類の嫌な感じがあった。『バビロン』はあえて露悪趣味を前面に出しながら映画史を遮二無二突き進む感じがあって、それなりに可愛げがあった。

『イニシェリン島の精霊』はそれよりずっと洗練されているけれど、思わせぶりな感じが気になった。『別れる決心』には映画をもてあそぶというか、ジャンル映画に作家映画の刻印を押して、世界の観客を驚かせようという衒学的なムードが強かった。

つまりフィルムノワールにロマンスをたっぷりと加えて、さらに現実と想像の垣根を超えるような撮影と編集のテクニックを駆使して「美学」を構築する。そしてスマホのSNSや翻訳ソフトなどで「現代」を見せる。監督は「どうだ」と思いながらこの映画を仕上げたような気がしてならない。

映画は、エリート刑事ヘジュン(パク・ヘイル)が中年男の変死事件を調べるところから始まる。釜山の岩山で死んだ男の妻ソレ(タン・ウェイ)は若い中国人の美女でヘジュンは彼女の後を追ううちに仲良くなる。ヘジュンには海辺の町で働く妻がいて、週末ごとにそこに通う。

変死事件は意外な結末を迎えるが、しばらくして妻の住む町に異動になったヘジュンは、そこで別の男と再婚したソレと出会う。それからソレの夫が死んでしまい、ヘジュンは再びソレの捜査を担当する。これまた謎のような形で映画は終わる。

ヘジュンとソレが愛しあっているのはすぐにわかるが、恋愛らしい描写は敢えて避けている。というか、2人は感情を顔に表さずにまるで能を舞っているかのようだ。そして2人の視線と想像をスマホや記録映像も使って複雑に絡み合わせて、数分ごとになぞかけをする。

さらに警察内のやりとりをはじめとしてあちこちにユーモアが混じっている。韓国の歌謡曲(日本の昔流行った歌に似ている)が流れて妙なノスタルジアも出てくる。いわばてんこ盛りの「どうだ」映画だけれど、私にはその意図が勝ちすぎている気がした。

この映画はカンヌで監督賞を得ているが、まさに国際映画祭向きではないか。日本映画でこれほどやりたい放題の謎解き映画は、とても撮らせてもらえないだろう。私も若い頃はこういう凝った映画は好きだったが、今はどうも退屈してしまう。

 

 

|

« 「論座」が終わる | トップページ | 『戦争は女の顔をしていない』に愕然 »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「論座」が終わる | トップページ | 『戦争は女の顔をしていない』に愕然 »