もう一度『ベネデッタ』を見る
ポール・ヴァーホーヴェン監督の『ベネデッタ』はオンライン試写で見ていたが、劇場に見に行った。その理由は、修道院の中のシーンが多くて全体に画面が暗く、パソコン画面ではよく見えなかったことと、終盤の盛り上がりを大きなスクリーンで今一度確かめたかったことにある。
劇場で見てこれはかなりの傑作ではないかと改めて思った。特に終盤、ランベール・ウィルソン演じる教皇大使がフィレンツェからこの映画の舞台のペシャにやってきてからは、本当に血沸き肉躍る展開だ。
2度目に見ると、これが徹底的に女たちの物語であることがわかる。ヴィルジニー・エルフィラ演じるベネデッタは、狂信的なまでに神を信じて自分の夫としてのキリストと会う夢を何度も見る。何匹の大きな蛇に巻きつかれたり悪党たちに取り囲まれると、キリストが一網打尽に切り刻む。ほとんどアニメ調だ。
貧乏な家庭に育って父や兄に犯されていた若い娘のバルトロメアはベネデッタの父のおかげで修道院に救われるが、いつも自分の欲望に忠実だ。おならもするし、美しいベネデッタの裸を見て好きになり、彼女を喜ばせるために大人のおもちゃを使う。この俗っぽい存在が、狂信的なベネデッタと交わる設定がいい。
シャルロット・ランプリング演じる修道院長のフェリシタは老練でしたたかだが、最後は自分の意志を通す。司祭がベネデッタを院長にして自分を降ろして表情一つ変えないし、ベネデッタの奇跡を怪しいと主張する自分の娘に対しても冷ややかだが、最後には情愛を示す。娘の復讐のためにフィレンツェに行って教皇大使に訴えるが、最後には大使の罪を暴く。
フェリシタの娘クリスチーナは唯一普通の女性で、ベネデッタの嘘を見抜き、それを非難されると命をかけて正しさを証明する。彼女がいることでベネデッタの妄想とインチキが相対化されて見えてくる。映画は壮絶な生き方をするこの4人の女たちの誰の視点にも立たない。だから感情移入もできないが、その分クールな恐ろしさを感じてしまう。
それに比べて教皇大使の何と俗っぽいことか。フェリシタが命がけでペストが流行するフィレンツェに訪ねてゆくと、彼は食事中でフェリシタの目の前でパスタを食べる。それを給仕する胸の大きな女はもうすぐ(たぶん彼の)子供が生まれるという。最後にベネデッタを火あぶりにしようとして怒った民衆が彼に攻めてくるシーンなど本当に痛快だ。
ベネデッタのいくつもの夢も2人の女性の愛しあうシーンも極めて俗っぽいのにも関わらず、ここには極めて現代的なテーマが描かれている。男性中心の社会への批判と自由な生き方をする女性たちへの賛歌である。これは今年前半の外国映画のナンバーワンだろう。
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