『戦争は女の顔をしていない』に愕然:続き
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ著『戦争は女の顔をしていない』について前回ほんの概要しか書いていないので、もう少し具体的に触れておきたい。これは現代人が読むべき必読書だから。とりわけロシアのウクライナ侵攻を考える時に重要な示唆になる。
今日はいくつかの心に残った文章を書き写しながら、自分の中でもう一度考えたい。
「「勇気を称える」メダルをもらったのが19歳。すっかり髪が白くなったのが19歳。最後の戦いで両肺を撃ち抜かれ、2つ目の弾丸が脊髄骨の間を貫通し、私の両足が麻痺して私は戦死したとみなされたのが19歳でした。19歳の時に……。/今、私の孫娘がその年です。孫娘を見ると、信じられない。まるで子供よ。/私が家に帰った時、妹が私の戦死を知らせる公報を見せてくれました」
10代後半で独ソ戦の戦地に行った女性は多い。多くは自ら志願している。筆者は時おり、この女たちの話を聞く自分の気持ちや考察を書いている。
「1つの人間の中にある2つの真実にたびたび出くわすことになる。心の奥底に追いやられているそのひとの真実と、現代の時代の精神の染みついた、新聞の匂いのする他人の真実が。第一の真実は2つ目の圧力に耐えられない。家を訪問して話を聞く時に、もし彼女のほかに身内や知り合い、近所の人などがいると、ことに男性が居合わせると、2人っきりで話を聞く時よりは、真心からの打ち解けた話が少なくなる」
これはおそらく万国共通だろうが、旧ソ連の場合は女性が兵士として戦っているから、当局としてはいよいよ話して欲しくないだろう。男性は保身のために「公式の物語」を好むが、女性は1人になれば自分の真実を語り出す。彼女たちは長くそれを封印してきた。
「私たちが奉られたり、懇談会に呼ばれたりすることになったのはもっと後になって30年もたってからのこと。初めは沈黙していたのよ。褒章だって身に付けないでいた。男の人たちは付けていたけど。女の人たちは付けなかった。男たちは戦争に勝ち、英雄になり、理想の花婿になった。でも女たちに向けられる眼は全く違っていた。私たちの勝利は取り上げられてしまっていたの。<普通の女性の幸せ>とかいうものにこっそりすり替えられてしまった」
「オーリャと私は戦前の夢だった医者にはなりませんでした。無試験で医科大学に入ろうとすれば入れました。戦地に行った者はそういう権利があったのです。でも、戦中に人々の苦しみを、人が死んでいくのを見過ぎていて、医者になってまたそれを見ることは考えられませんでした。30年たっても、自分の娘を医科大学に入らないように説き伏せました」
こんな話が延々と続く。これまで語ることを禁じられてきた戦場に行った女たちが、30年たって次々に語る。最初は語る女性を探すのが大変だったのが、途中からどんどん紹介してくれたと言う。彼女たちがドイツと戦ってウクライナやバルト三国を解放していったのに、今やそこにロシア軍が攻めているという歴史の皮肉をどう考えているだろうか。
プーチンがウクライナ人を「ネオナチ」と呼ぶのは、彼らが旧ドイツのようにロシアの領土を奪っているという観点に立てば理解は可能だ。しかしウクライナ人は侵略者ではなく昔からそこに住んでいる住民で、そこにドイツや旧ソ連やロシアがやって来たのが事実だろう。
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