アルジェントの『ダークグラス』に考える
4月7日公開のダリオ・アルジェント監督『ダークグラス』をオンライン試写で見た。同じくオンラインで見て後で劇場に行ったポール・ヴァーホーヴェン監督の『ベネデッタ』に似て、老監督が肩の力を抜いて仕上げた感じの娯楽映画である。
ヴァーホーヴェン監督は84歳だが、アルジェント監督は82歳。世代的にはポスト・ヌーヴェルヴァーグに当たるが、根っからの映画好きが多い。イタリアではマルコ・ベロッキオやベルナルド・ベルトルッチなどがいるが、この2人が作家として個性的なスタイルを確立したのに比べて、ヴァーホーヴェンやアルジェントはヒット作を次々に手がけてきた。
そんなアルジェントの新作の題名は『ダークグラス』。原題はOcchiali neri=「黒い眼鏡」で邦題はその英語のカタカナ読みだが、要は黒いサングラスのことである。「サングラス」というこのシンプルな題名が、いかにもジャンル映画のようでいい。
冒頭、真っ赤な口紅を塗って赤いシャツを着た若い女が、暑い夏の日に車を運転している。外にはなぜか人々が集まってスマホを太陽にかざしている。黒いプラスチックをかざしている人もいる。ラジオからは「日食」のニュースが流れる。女は不愉快そうに黒いサングラスをかける。
この後にクレジットが始まるのだが、何と謎めいていてカッコいい出だしだろうか。日食を集まって見る人々と言えば、ウジェーヌ・アジェの《日食の間》(1912)という題名の奇妙な写真がある。この名前で検索すれば出てくるので見て欲しいが、30人近い人々が狭いところに集まって黒いものを当てて太陽を見ている不思議な写真だ。
アジェが撮った写真の多くは無人のパリの建物だが、そこになぜかこの写真が混じっている。アジェは集まって日食を見るパリジャンたちをよほどヘンだと思ったのではないか。その違和感が『ダークグラス』冒頭の女性と共通している。
この映画は、この女性・ディアナが白いバンに乗った変な男に車で追いかけ回されて交通事故にあい、失明してから本格的に始まる。娼婦の彼女はその事故に巻き込まれた両親の息子で中国人の少年・チンと生きてゆく。ダリオ・アルジェントに詳しい映画ファンならば、すぐに彼の第三作『わたしは目撃者』(1971)を思い出すだろう。
『わたしは目撃者』は、15年前に失明した元記者が幼い姪と共に殺人事件を解決してゆく物語だった。盲目だがカンの鋭い元記者は、姪の助けを借りて大活躍する。これが50年後の作品で盲目の娼婦と中国人少年の組み合わせになるとは。ディアナがサングラスをかけたり外したりするだけでドラマが生まれる。
わずか85分というのもいい。『ベネデッタ』と同じく暗い画面が多いので、映画館でもう一度見たい。
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