「佐伯祐三」展に考える
東京ステーションギャラリーで4月2日まで開催の「佐伯祐三 自画像としての風景」展を見た。実はこの画家には長い間、アレルギーがあった。私が最初に働いた政府系機関で、旧大蔵省から来た本当にどうしようもない理事が「パリのエッセンスを描いている」と言ったから。
その理事は東京国立近代美術館で昭和が終わった直後に開催された「昭和の美術」展の内覧会に招待されて見に行った。その最初にあったのが佐伯祐三の作品で感動したという。今思うとそれは同館蔵の《ガス灯と広告》(1927)だと思うが、いずれにしてもパリ留学から帰って間もない私は「おまえにパリの何がわかる」と反発した。
そんなこともあって、佐伯祐三はあまりきちんと見ていない。だから今回の個展はいい機会だと思った。展覧会を見てまず驚いたのはパリばかりではなく、東京の下落合あたりもかなり描いていることや自画像が多いこと。この展覧会はこのあと大阪中之島美術館で開催されるが、何十年も準備室だった同館が所蔵する佐伯作品の多くが初めて公開されたこともある。
もう1つは彼が1928年に30歳でパリで亡くなったことで、私は恥ずかしいことに全く知らなかった。『ガス灯と広告』などはパリに憧れた呑気な50代か60代の画家が描いたものくらいに思っていた。全く文化を理解しなかった元理事が好きだったような佐伯祐三の人気は、「28歳でパリで客死」したのが伝説になりやすかったからかもしれない。
さて今回まとめて見てみると、パリ市内の広告塔やカフェなどにフランス語の文字を強調して描いたいくつかの作品が一番甘い気がした。パリに行って嬉しくてしょうがない心で描いたのだろう。むしろ下落合や目白などを描いた作品に力強いリアリズムとそれを乗り越える様式化の意欲が感じられた。
あるいは後半に展示してあるパリ郊外の作品群に新たなスタイルを感じた。もしこの画家が一世代上の藤田嗣治のように長生きしてパリに長くとどまっていたら、大きく変わっていったのではないかと思われた。それくらい晩年の作品群には気迫が感じられた。
フランス時代の作品は、2階の赤レンガの地肌の壁での展示がぴったり合っていた。やはり西洋に憧れて作られた明治期の煉瓦建築とは相性がいい。会場には中年男性が多かったが、やはりパリ幻想だろうか。
そういえば、冒頭に書いた元理事はその後、地方の銀行の頭取になった。典型的な大蔵省の護送船団方式だったが、その銀行は破綻吸収されて今はない。
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