砂漠の夢
夜、10時頃に寝て、たぶん朝2時頃に1度起きる。そこで時計を見ると眠れなくなるので、目が覚めていてもじっとしている。そうすると自然に夢の時間が始まる。この夢は何度も見る。ある話が途切れて少し目が覚めて、次のバリエーションになる。
最近出てくるのは、砂漠の中で何かしようとしている自分だ。小さな図書館を見つけたり、知らない人と議論したり。そこで何か邪魔をする人や動物が来る。昨日、私は「それは官僚的だ!」と叫んで起きた。
私はいわゆる砂漠には行ったことが1度しかない。新聞社時代にドバイとアブダビに取材に行った時タクシーを使って移動したが、市内から少し離れると本当に何もない砂漠があった。道らしきものを行くが、周囲は真っ白の砂ばかり。
ある現代美術の画廊は、砂漠の中にガソリンスタンドとレストランやカフェがある一角にあった。全部で1000平米くらいだろうか。画廊は100平米くらいのスペースの二階建てだが、地元作家によるバリバリの現代美術があった。
有名という画家の家に行ったり、フランス語のできる哲学者の家に行ったりもした。哲学者の家は運転手が迷いに迷い、何度も電話してたどりついた。家の中はどちらも立派で、石と木でできた本棚に膨大な本があり、シャンデリアがあった。どちらも帰りは運転手付きの車を用意してくれた。
そこでは誰も知り合いがいなかった。日本大使館の人に食事を誘ったが断られ、ドバイで3泊、アブダビで2泊、昼も夜も1人で食べた。最後の夜は飛行機が夜中の2時に出るので、夕方5時から10時までのサファリツアーに参加した。この時ほど孤独な日々はなかった。
最近の夢によく出てくる砂漠の感じが、どうもその時に似ている。とにかく一人で、誰も知らない。そこでは自分の知らないルールですべてが動いている。未開の地なのに、すべてが機械的でどこかに官僚組織がある感じ。何もうまくいかない。そこで私はもがき、声を挙げる。
20数年の会社員時代、本当に何のためかわからない仕事を山ほどやった。ドバイ、アブダビ行きは「アジアの現代美術」取材という枠だったと思う。同僚は中国、韓国、インドに行ったが、新米記者の私はアラブ首長国連邦だった。それまで出張でヨーロッパにばかり行っていた私は、途方に暮れた。そんな経験が15年ほどたってから、蘇りつつある。
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