大江健三郎が亡くなった
昨日の昼過ぎ、『エブエブ』がアカデミー賞の作品賞や監督賞を含む7部門を制覇したことに呆れかえっていたら、その後に大江健三郎が亡くなったニュースが流れて『エブエブ』はどうでもよくなってしまった。それほど私にとって「大江健三郎」という存在は大きかった。
たぶん昨年亡くなったジャン=リュック・ゴダールと同じくらい大きかったが、違いはある時期から私の中でこの2人が入れ替わったことだ。つまり1980年代までは大江健三郎が神様だったが、80年代半ばからだんだんゴダールの存在が増してきて、90年代以降はゴダールの方が神様となった。
もちろん、神様だから2人とも親しく話したことはない。ゴダールは記者会見などで「見た」ことはある。大江健三郎は新聞社時代に会ってはいるが、自分は末端の担当者でひたすら元神様のお顔を見ていただけである。
最近読んだ本で筒井康隆と蓮實重彦の対談『笑犬楼VS.偽伯爵』があった。この本については後日書く予定だが、対談の最初に蓮實は筒井が2017年に書いた「ずっと大江健三郎の時代だった」に触れて、2人で大江健三郎の大きさについて語っている。
私はこの2人よりも20年以上若いけれど、「ずっと大江健三郎の時代だった」という感覚は私もある時期までは持っていた。高校生の時から新潮文庫にあった彼の小説を読み始め、その奇妙な世界観に浸っていた。そして高校3年生の時に『同時代ゲーム』が出て、すぐに箱入りの単行本を買った。
当時大江の小説は新潮社の「純文学書下ろしシリーズ」から出ていて、分厚く箱入りで何とも有難みがあった。『同時代ゲーム』を読んだのは大学に入って新潮文庫以外にも講談社文庫など文庫本をほぼ読んでから満を持して読み始めた。文庫になっていなかった『ピンチランナー調書』などは単行本で買った。
『同時代ゲーム』の印象は強烈で、明治以降の日本の歴史を覆すような試みに胸が躍った。今朝の「朝日」で池澤夏樹が大江健三郎はまず題名がすばらしいと書いているが、「同時代ゲーム」なんてカッコよすぎた。
ところが私が大学生になると、この作家は文化人類学者の山口昌男や哲学者の中村雄二郎などと組んで岩波書店の「エルメス」という雑誌に参加した。それから岩波や講談社から箱に入らない小説が出始めて、何となく面白さが減っていった。『あたらしい人よ目覚めよ』が出た1983年には蓮實重彦の『監督 小津安二郎』や浅田彰の『構造と力』が出たが、私の関心は蓮實重彦や浅田彰に移って行った。
そしてこの2人を経由して神様はゴダールになった。今日はこれでおしまい。
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