『それでも私は生きていく』に泣く
5月5日公開のミア・ハンセン=ラヴ監督『それでも私は生きていく』を試写で見て、泣いた。5年前に夫を亡くしたシングル・マザーが働きながら父親の介護をし、新しい恋人を見つけるというどこの国でもありそうな平凡な話だが、なぜ涙が出たのだろうか。
最初にリュックを背負ってすたすた歩くレア・セドゥを見た時、子供みたいだなと思った。最近はクールでセクシーな美女としての役が多かったが、今回は短髪で化粧なし。全体にちょっと悲しそう。
彼女が演じるサンドラは父の家を訪ねるが、老いた父ゲオルグ(パスカル・グレゴリー)は鍵を開けるのにずいぶん時間がかかってしまう。父親はかつてドイツ哲学が専門の教授だった。家にはカントやハンナ・アーレント、エリアス・カネッティなどの本が一杯だった。しかしアルツハイマー型認知症で視力と記憶が失われつつあった。
彼女は会議の通訳者として働きながら、8歳の娘リンを育てている。夫ジュリアンとは5年前に死に別れたが、偶然にその友人のクレマンと再会し、2人は恋に落ちる。しかしクレマンには妻子がいて別れられない。
サンドラは父を施設に入れることにする。まずは大きな病院で検査をしてから別の病院へ移り、さらに介護施設に移ってそこがよくなかったので、別の施設に移る。サンドラの妹も手伝ってくれるし、別居中の母親(圧巻の二コール・ガルシア!)とその恋人、あるいは父の今の恋人も交代でやってくる。
季節は夏から秋になって冬が来る。そしてもう一度夏になる。パリの変わりゆく景色の中で、サンドラは時々半泣きになる。変わりゆく父親、さばさばとした母親の対応、自分と家族の間を右往左往する恋人、わがままを言う娘を見ながら、時々泣き出す。その感じがなぜかよくわかる。
父のために施設でシューベルトのピアノソナタ20番を聞かせるシーンがある。もちろん父はこの曲をよく知っている。何とも泣けてくるシーンだ。ほかにもヤン・ヨハンソンの音楽など静かな優しい音楽が身に沁みる。
レア・セドゥの涙は、生きることそのものの厳しさと楽しさの入り混じったものかもしれない。声高にジェンダーを叫ぶことはなく、普通の女性の毎日の生活を細やかに描くことで、人間の生きる真実を見せる秀作である。原題のUn beau matinは、父親が書く予定だった自伝の最初の言葉(だったか、自伝の題名だったか忘れた)。
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