『トリとロキタ』の強度
3月31日公開のダルデンヌ兄弟監督『トリとロキタ』を試写で見た。ケン・ローチと同じくカンヌ常連の社会派監督だが、ダルデンヌ兄弟の方はもっとストイックというか、あらゆる無駄を省いてシンプルに見せる。
今回の主人公は題名のトリとロキタで、彼らはアフリカからやってきた少年と娘だ。最初にロキタが正面を向いて質問に答えている。入国管理局のような場所で、一緒にいるトリのことを聞かれているが、うまく答えられずに焦る。
この2人はアフリカから密航した船で知り合った。トリには難民用ビザが発行されたので、ロキタは姉と称してビザを得ようとしている。最初の場面はその審査だった。彼らはイタリア料理店でカラオケを歌って小銭をもらっているが、実は料理人のベティムは彼らに麻薬の運び屋を頼んでいた。
ロキタはアフリカの家族のためにお金を送る必要があるが、密航の仲介業者にまだお金をはらっていないらしく、稼いだお金をはぎ取られる。ベティムは小銭を与えてのセクハラを止めないが、偽造ビザを頼んでいるので断れない。さらにベティムの提案で、ビザのための大金を得るために密室の倉庫での三ヵ月の大麻栽培を引き受ける。
そこは誰もいない地区に立つ倉庫で、窓もなく冷凍食品だけが定期的に運びこまれる。トリは何とか倉庫に忍び込むが、2度目に行った時にベティムに見つかってしまう。2人は何とか逃げようとするが、敵も追いかけてくる。
全編、ほぼ救いがない。2人の周りは悪人ばかりで、ボランティアたちも立ち入れない。唯一心が休まるのは2人がイタリア料理店や倉庫の中で歌う場面で、特にイタリアに滞在中に習ったという「東の市場で」が心地よく響く。
これが世界の現実だと言わんばかりに、ダルデンヌ兄弟は誇張もせず主張も込めずに辛いだけの2人の生活の細部を見せる。と言うよりも、あちこちがぶつ切りになって、見る者はその奥にあるものを想像せざるを得ない。見ながら世界の無限の闇に包まれるが、最後にほんの少しだけ光が差す気がした。
主演の2人は素人で有名な俳優も出ていない。伴奏音楽もなく、ダルデンヌ兄弟は強度だけのシンプルの極みに戻ったようだ。難民をほとんど受け入れない日本という国からは一見遠い現実に見えるが、この映画をよく見て周囲を見回すとそうではないことに気がつくのではないか。
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