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2023年4月20日 (木)

『日活ロマンポルノ 性の美学と政治学』を読む:その(2)

私が日活ロマンポルノを見るのに今もどこか躊躇があるのは、レイプなどの男性による女性の暴力描写だった。そのうえ、女は乱暴をした男をその後に好きになるなんてありえないと思った。それは男性の自分勝手な妄想でしかないのは明白なのに。

昨今は#MeToo運動もあるので、日活ロマンポルノを研究するにあたってそのあたりをどう「落とし前」をつけるのか気になっていた。いかに女性が中心になる映画が多くても「女性映画」という訳にはいかないだろうと。この本の編者の1人である鳩飼未緒はそこを「序」できちんと書いている。

「確かにロマンポルノにおける女性の性意識の表象は多分に「歪曲や矮小化」を含む。ただし重要なのは、その中で(主に)男性を相手とする性的な関係性から生じる問題の数々に女性キャラクターが向き合っていく多彩な物語が展開し、その個々の物語において、彼女たちが単なる受け身の存在にとどまらず明確な主体性を持った存在として描かれている点ではないだろうか」

「ロマンポルノを異性愛者の男性観客向けの女性を性的に搾取する映画と十把一絡げに否定してしまうのは当然ながら反知性的な振る舞いであるだろう。そこで私たちがめざすのはロマンポルノを断罪することではなく、問題含みでありながらも、そこに存在した先進的かつ豊穣な性表現に今一度光を当てることである」

要は根本には問題はあるが、先進的な表現は評価しようということだろう。それが神代辰巳や田中登のように明らかにアナーキーで作家性の強い監督ならばまだわかりやすい。志村三代子「ロマンポルノと人間浄瑠璃の邂逅ー『㊙女郎責め地獄』におけるふたりのヒロイン」や、長門洋平「神代辰巳の音響空間ー日活ロマンポルノに見る選挙区とアフレコの美学」は基本的にこの路線であろう。

鳩飼未緒自身の論文「「SMの女王」谷ナオミ論」は監督ではなく女優、谷ナオミのSM映画に焦点を当てる。谷ナオミは日活ロマンポルノの前にピンク映画で既にSMもので活躍しており(私は知らなかった)、ロマンポルノでは主演作20本中15本がSMものという。「SMの女王」という呼称は私もよく覚えている。

SM映画は、まさに男性がいじめたら女は次第にそれがよくなるという点で、ある意味ではレイプに近い。彼女の分析では、ヒット作『花と蛇』と『生贄夫人』(共に74)は谷ナオミがマゾになってゆく過程を描くが、「高貴さ」が支配しているという。おもしろいのはそれ以降の13本ではほとんどSMに「開眼」しないということ。

彼女は13本を5つに分けるが、開眼するのは『原作・団鬼六「黒い鬼火」より 貴婦人縛り壺』(77)のみらしい。つまりいじめられてマゾに変わるという男性妄想パターンは最初の2本だけで、その後は1本を除くとその方向にはあえて行かない。「ロマンポルノのSMものにおいて谷ナオミが演じたキャラクターはほとんどの場合、「いじめられ、いたぶられ、弄ばれて、いとも簡単にM(マゾ)女に変心(変身)させられてしまう」女性としては造形されていないことがわかるだろう」

実はたぶん私は谷ナオミの映画は1本も見ていない。SMには昔から全く興味がないし、痛いのは嫌だからだが、この詳細な分析を読んでちょっと見たくなった。

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