『私、オルガ・ヘプナロヴァー』の強度
4月29日公開のチェコ映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』をオンライン試写で見た。トマーシュ・ヴァインレプ&ペトル・カズダの共同監督というが、ある少女の日々を淡々と描く白黒の映像に相当の強度が感じられた。
1970年頃のプラハ。13歳の娘オルガは朝起きることができない。学校に行きたくないし、食べるものを吐いてしまう。1人で本を読み、日記をつける毎日。医者の母親が処方する精神安定剤を過剰摂取して自殺騒ぎになり、精神病院に入る。そこでも彼女は落ち着かず、いじめられた。
病院を出たオルガは家に帰るが居場所がない。結局、一人で山小屋で暮らすことになり、運転手として働き始める。そこで出会った美しいイトカを好きになるが、彼女は既に別の女性と住んでいた。その後もオルガは女性相手を探す。
オルガは痩せて背が高く、服はだらりとぶらさがった感じ。せむしのように前かがみで、スタスタ歩く。暇があると本を読み、煙草を吸い、日記を書くが、他人と話すことはめったにない。体調が悪くなると母に薬の処方を頼む。母は無言で処方箋を書き、お金と共に渡す。ある時、彼女は考えていた計画を実行に移す決意をし、その前に手紙を書く。「私は13年間、良家の囚人だった」「私はどこでも侮辱された」。
現在の日本でも、「社会に復讐する」とたった一人が不特定多数を犠牲に巻き込む犯罪はよく起こる。しかしその内面に踏む込んだ映画はあまりないのでは。この映画は、絶対的な孤独に生きる少女の側から、どのように家族や学校や病院や社会が見えるかを克明に見せてゆく。それは決して「狂気」といった大げさなものではなく、むしろ自分への誠実さ、繊細さから出たのではないかと思えてくる。
映画は社会主義国時代のチェコを描いているが、ここにある問題は資本主義でも全く同じで、現在でもどの国でもありうる話だろう。「普通」という物差しで全員を測ろうとする社会がある限り、このような若者は必ず現れる。この映画を見ていると、どこかオルガにも正しいところがあるように思える。そんな描き方をしている。
2016年のベルリン国際映画祭に出た映画のようだが、それからずいぶん公開されなかったことになる。まだまだ埋もれた秀作はあるのだと思った。
| 固定リンク
「映画」カテゴリの記事
- イタリア映画祭も数本:続き(2026.05.14)


コメント