「品がいい」とは:その(1)
いつの頃からか、何となく心がけていることに「品がいい」ということがある。もともと私は田舎者だし、早口で早飯で身も蓋もなく何でもしゃべってしまうので「品のない」ことには自信がある。気取った「品がいい」人々なんて蹴散らしてやる、と長年思ってきた。
それでも本当に品がいい人を見ると「いいなあ」「ああなりたいものだ」と思ってしまう。特に大学教師のように、出世もなければ左遷もない世界に身を置いて10年もいると、なんとなく「品がよい」を求めてしまう。
そんなことを考えたのは『學鐙』という雑誌で「品がいい、品が悪い」という特集を読んだから。そこには20人の学者や評論家や建築家などが見開きでこのテーマをめぐってエッセーを書いていた。そこで驚いたのは、そのうち3人が小津安二郎監督に触れていたこと。
書評家の岡崎武志氏は『麦秋』が好きで、ラストの老夫婦を演じた東山千栄子と菅井一郎を「上品」と書く。そしてそれを戦後にシンガポールからの帰国船を他人に譲った行為を引いて「小津作品の「品」は監督自身から生まれたものだった」
「新聞記者を経て家事見習い」という肩書の河谷史夫氏は「責任感と常識のある人格者」と言えば「小津安二郎を思い浮かぶ」。そして『小早川家の秋』の原節子が司葉子に言う台詞「少しぐらい品行が悪くてもそう気にならないと思うけど、品性の悪い人はだけはごめんだわ。品行はなおせても品性はなおらないもの」を引く。実はこの映画を若い頃見た時は、この台詞が気になった。自分はきっと「品性の悪い人」だと思ったから。
アナウンサーの山根基世氏はテレビ番組の安易なクローズアップを下品としたうえで「対極は小津安二郎の映画だろう」と書く。「カメラを低い位置に固定させ、ジッと同じ構図で撮り続けた。部分のアップなどはほとんど使わない。もっとそこが見たいと思うときも決してカメラは寄らない」
小津安二郎は、出てくる登場人物も演出のスタイルも、そして監督本人も「品がいい」日本人の代表だろう。私はここで小津安二郎の本を書いた蓮實重彦さんと故・吉田喜重監督を思い浮かべる。彼らも「品がいい」のは、万人が認めるのではないか。すらりと背が高く、いつも穏やかな表情で他人に接する。
本を書くほど小津安二郎の映画を何度も見ていると、だんだん品がよくなるのか。私は本は書いていないが、小津の映画は何度も見た。しかし、一向に品が良くなるような気配は訪れない。私は蓮實さんも吉田監督も仕事で何度も会ったが、この2人は実はだいぶ違う。今日はここまで。
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コメント
蓮實重彦さんは品がいい,...
触ったものすべてを腐らせるミダス王のような人に見えます。
投稿: yazaki | 2023年4月15日 (土) 22時02分